石立大砲鋳造所跡 - 幕末、海防のために大砲を造る

石立大砲鋳造所跡

[ 高知県高知市東石立町 ]


幕末、日本の周辺にゃ多くの外国船が出没するようになり、幕府は諸藩に外国船打ち払い令を出し、土佐藩もこの命に従って、大砲を造るがです。

石碑も何もありませんき場所の特定は出来んがですが、当時「石立村鍋焼(現東石立町)」と言うちょった場所は、この辺りじゃないかと思われます。

地名の鍋焼と言うのは須崎の「鍋焼きラーメン」にゃ、関係ないぜよ・・・・

まあ冗談はおいちょいて、元は鍋釜類を鋳造しよった所ながじゃそうです。

そんで、この大砲や砲術に関わる人物と言うたら、土佐に西洋砲術を広めた徳弘董斎に繋がるがです。

徳弘董斎と言うたら砲術家と言うより画家のイメージが強いけんど、元は江戸で幕臣・下曽根金三郎に高嶋流砲術を学んじょるがです。

前述したように度々日本周辺に姿を現す外国船に対する危機感から、土佐藩も第13代藩主・山内 豊熈が海防を必須とし西洋流砲術を導入するがですが、この時に起用されたがが徳弘董斎で数百名もの上士や下士らが門をくぐったと言う。

その門人の中にゃ、坂本龍馬や岡田以蔵も居ったがぜよ・・・。


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