今井貞吉 - 堺事件の際、土佐藩監察吏となり折衝役を務める

今井貞吉墓

[ 高知県高知市筆山町・筆山 ]


今井貞吉は天保2年(1831)に土佐郡潮江村塩屋崎(現・高知市)の下士・今井米次の子として生まれちょります。

町方下横目を務めちょった時の安政6年(1859)に藩命で長崎に赴き物産貿易の取調べをし、次いで薩摩にも入りガラス製造、木綿織器械などを見学し帰国し吉田東洋に復命するが、再度長崎行きを命ぜられちょります。

しかし帰国後、長崎で買い求めた蘭書が災いして免責となり、暇を願い泉州堺に出て医師となるがです。

慶応3年(1867)の泉州堺で起こった堺事件の際には、土佐藩監察吏となり、折衝役を務めちょります。

烈士殉難碑 - 堺事件関係者 2011-02-22

慶応4年(1868)開成館大阪表貨殖局作配役(長崎土佐商会の大阪支社・大阪土佐商会)となり、明治4年(1871)廃藩により開成館も解体し、岩崎彌太郎と共に藩財政の締めくくりをしちょります。

スリーダイヤモンドに秘められた野望 - 岩崎弥太郎 2010-01-21

因みに、岩崎彌太郎は明治2年(1869)に、土佐藩開成館大坂出張所(大阪土佐商会)に赴任し大坂藩邸の責任者となるがでして、廃藩によって藩主体の商売が出来ん「藩営事業禁止令」になったために、土佐藩開成館大坂出張所(大阪土佐商会)を受け継ぎ、明治3年に「九十九商会」を創立し、その後は御存知の通り現在の「三菱」へと発展して行ったがです。

坂本龍馬より4歳年上の同時期の人じゃき、ちょっと年代で照らし合わせて見たけんど、安政6年の坂本龍馬は前年の安政5年に二度目の江戸での剣術修行を終えて帰って来ており、もしかしたら、どこぞですれ違ったりはしたかも知れん・・・。

慶応4年(1868)にしても、の慶応3年に龍馬は暗殺されていて、既にこの世におらんかった・・・。

ただ「土佐商会」を介して、間接的にはつながっちょります。

明治5年(1869)今井貞吉は土佐に戻り、明治36年 73歳没。

独学で学問を身に着け、博学多才な人じゃったそうです。

【 引用・参考 】 『高知県人名事典』 高知新聞社




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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