足立行蔵 - 土佐勤王党に183番目に加盟

足立行蔵墓

[ 高知県高知市筆山町・筆山 ]


足達行蔵に関しては、いろいろ探してみたがですが資料がなく詳しいことは判らんがですが、墓石にゃ「足立源蔵 二男 享年83才 大正6年(1917)10月歿」と刻まれちょり、推測すると天保6年(1835)頃に生まれた事になり、坂本龍馬とは粗同い歳になるがですね。

初名は貞正で、後に貞長と改名しちょります。

土佐勤王党にゃ183番目に血盟同志しちょります。

最初に、彼の行動は調べたけんど判らんと書いたように何の手がかりも見出せんがですが、ただ一つ知られているがは、土佐勤王党の獄で武市瑞山らが入獄した時、自分自身の身辺も危険な事を知らないまま三田尻から土佐に戻って来た中岡慎太郎を、高知城下の西方・朝倉村で待ち城下に入るのは危険だと報せちょります。

その際、足立行蔵は中岡慎太郎から土方楠左衛門(改名後・久元)から父・土方理左衛門宛の手紙を托されたとか・・・。

その後、中岡慎太郎が城下に入ったか否かも、定かじゃないがですき・・・。

因みに、土方楠左衛門はこの時期、文久3年(1863)藩命により上洛し徴士(【ちょうし】朝廷または政府に召し出された高徳の士)に選ばれ朝廷の学習院御用掛となるがですが、就任数日後に京都守護職・会津藩と薩摩藩とが起こしたクーデター(八月十八日の政変)で、七卿の護衛となって長州に随行しちょります。

土方久元邸跡 - 土佐勤王党に21番目に血盟 2013-09-09


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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