潮江城址 - 本山氏を破った長宗我部軍の手に落ち森孝頼が城主に

潮江城址(筆山)

[ 高知県高知市筆山町・筆山 ]


高知市内を東西に流れる鏡川の南に筆山と言う約100m程の山があるがですが、山頂付近が潮江城址ながです。

南北朝時代にゃ、土佐の南朝方として戦いよった大高坂城(現・高知城)の大高坂松王丸を援護するため土佐に下向した南朝の後醍醐天皇の皇子「花園宮満良親王」が潮江山(筆山)に陣取って戦ったがですが、北朝方の足利尊氏の重臣・細川氏に敗れるがです。

吉野(南北)朝廷時代古戦場跡 2009-08-21
「南北朝」所縁の地 - 大高坂松王丸の記念碑 2009-08-20 

その後、土佐郡森郷に本拠を置く森近江守頼実が、この潮江山に城砦を築いたがですが、本山に本拠を置く本山氏との戦いで敗れて討ち死にし、本山氏の支配下になり配下の長久兵衛尉佐伯満貞と片山兵衛尉八木幸泰が共にこのあたりを守備したと言うことながです。

永禄3年(1560)、本山茂辰は宿敵・長宗我部元親と長浜・戸の本の戦いで敗北し敗退して行くがですが、長宗我部軍は、敗退する本山勢を追ってこの潮江城にも迫るがです。

戸の本古戦場跡 - 長宗我部元親初陣 2009-10-15

しかし、潮江城には本山軍の姿はなく、もぬけの殻じゃったそうです。

戦後処理で、潮江城は森近江守頼実の子・森孝頼に与えらちょります。

森氏はもともと土佐郡森郷の領主じゃったがですが、父が本山氏に敗れると長宗我部氏を頼っては配下になり、本山氏との戦いの際にゃ、長宗我部元親は森孝頼を旧領の森へ送り込み、本山氏を撹乱させるがです。

その功により、旧領・森郷と、この潮江城主任命されたとか・・・。

森孝頼

土佐国(現・高知県)北部の森郷から潮江村一帯を所領とした土豪・森氏の第5代当主。
父・頼実が本山氏の攻撃により居城森城を奪われ敗死すると、幼少の身だった孝頼は密かに城を脱出し、岡豊に落ち延びる。
その後、岡豊の長宗我部国親のもとに身を寄せ、その庇護を受けるが、元服後は国親の跡を継いだ長宗我部元親の家臣となり対本山戦で功を上げる。
そして、元親よりもともと森氏の支城であった潮江城を与えられ城主となり、元親が本山氏の居城本山城攻略に着手した際は命を受け、森郷に潜入、森氏の旧臣らを内応し、本山城陥落の足がかりを作った。
本山氏降伏後は元親より旧領森郷を与えられ、孝頼は没落した森氏の再興に成功した。
森城主となった孝頼は以後、長宗我部氏の傘下として四国統一戦に参陣、また潮江天満宮の改修なども手掛けた。

森孝頼 - Wikipedia


因みに、妻は長宗我部氏家臣で、通称・大備後と称される吉田重俊の娘で、子・頼清は、天正14(1586)年に九州戸次川合戦で、長宗我部信親らと討死しちょります。

長宗我部信親 - 戸次川の戦いで討死 2012-03-25

また吉田重俊の兄・吉田孝頼(別名・吉田周孝)は長宗我部氏の知恵袋として知られた人ながです。

吉田城跡 - 城主・吉田周孝は吉田東洋の祖 2010-12-16

土佐吉田氏は中臣鎌足の末裔を称し、藤原秀郷の子孫の首藤俊宗が足利尊氏に従い、功あって土佐に領地を得たことが始まりである。
この首藤俊宗の弟の首藤俊氏は後に山内氏を名乗り、尾張国に住むようになる。
この山内氏が、後に土佐の大名になる山内一豊の先祖である。

吉田孝頼 - Wikipedia


長宗我部氏の家臣・吉田氏と山内一豊の先祖が、繋がっちゅうのも因縁のような・・・。

現在、山頂付近は筆山公園として、高知市民の憩いの場となっちょります。


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