土方楠左衛門墓 - 薩長同盟の立役者の一人

土方久元(土方楠左衛門)墓-染井霊園

[ 東京都豊島区駒込・染井霊園 ]


墓碑銘にゃ「秦山」とあるがは号で、維新後に土方久元と名を改めた土方楠左衛門のお墓ながです。

黒岩直方の所でも、チックと触れたけんど、慶応元年(1865)土方楠左衛門は中岡慎太郎と状況視察に京に上った時、薩摩藩・吉井友実(維新後に吉井幸輔に改名)の屋敷で坂本龍馬と合い時勢を論じ、帰路、下関にて再び龍馬と合い中岡慎太郎と画策中じゃった薩長同盟の話をしちょります。

その結果、坂本龍馬が薩摩と長州の仲裁をした事で、薩長同盟が成ったがでして、土方楠左衛門も薩長同盟の立役者の一人ながです。

また、高知市の護国神社境内に「南海忠烈碑」と言う武市瑞山を始め維新の夜明けを見ずに散っていった土佐勤王党の殉難同志の記念碑があるがですが、この建設にも土方楠左衛門ら明治維新を生き残った旧・土佐勤王党員らが建てちょるがです。

ところで、土方楠左衛門の墓碑銘に維新後の名前・土方久元と刻まんと「秦山」としたがは、やはり生まれ育った故郷・土佐に愛着があったがでしょうねー。

「秦山」の由来は、生家のある土佐郡秦泉寺村(現・高知市)の少し山の上ですき、「秦泉寺村の山」と言う意味で「秦山」としたがじゃと思います・・・。

また何れ掲載しますけんど、今でも生家跡からは高知城が望めます。
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