村田忠三郎邸 - 井上佐一郎殺害を自白し死罪

村田忠三郎邸

[ 高知県香南市吉川町 ]


坂本龍馬より5つ年下で、江戸では龍馬と同じ千葉定吉・重太郎に北辰一刀流を学び、土佐勤王党にゃ47番目に加盟しちょります。

文久2年(1863)藩主・山内豊範の参勤に従って上洛し吉田東洋暗殺の下手人探しをしよった井上佐一郎を、岡田以蔵らと絞殺してしまうがです。

しかし文久3年(1863)八月十八日の政変(堺町御門の変)で、土佐藩も土佐勤王党に対する厳しい弾圧が始まり、岡田以蔵の井上佐一郎殺害の自白により、元治元年(1864)8月共謀した岡本次郎・久松喜代馬・森田金三郎らと共に投獄されるがです。

忠三郎は厳しい拷問に耐え兼ね井上佐一郎殺害を自白し、慶応元年閏5月10日処刑されちょります。

村田忠三郎顕彰碑 - 土佐勤王党に47番目に加盟 2011-07-21

村田忠三郎の生家は、村田家の墓所に近い、この辺りながです。

あえて、特定いたしません。

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