正吉神社 - 祭神・丈野正吉は野中兼山、父、祖父の三代に仕える

正吉神社

[ 高知県高知市みづき2丁目 ]


高知市西久万の北側にみづき団地があるがですが、その傍にある初月墓地公園の一角に、正吉神社はあるがです。

元あった場所は判らんけんど、多分、みづき団地の造成にあたって、此処に新たに遷宮したようながです。

古くから、「正吉公さま」として崇められ、首から上の病気や手術の際に願掛けをすると、御利益があると信仰されちょるようです。

正吉神社

正吉神社由緒

古来「正吉公様」として、諸病平癒の霊験新な神様と地元はもとより県下各地から多くの人々の尊崇を得ておりましたが、土地造成にあたり、この地に御遷宮されました。
改葬の際出土しました墓誌によりますと、丈野正吉(本名・吉正)公は、慶長元年(西暦1595)に土集州幡多郡並村出生、野中主計頭益継公、其の子・勘解由良明公、其の子・主計頭良継公(野中兼山)三代に仕え、慶安5年(西暦1652)壬辰6月27日土陽城下にて57歳で没と。
この土地動かす時は、改めて葬されたいとありました。

今回、事業に関わった人々、地元の人達、多くの信者の願いにより、ここに小祠を建立し永く御神霊の安鎮を願うところであります。
願わくば、諸願成就の御利益を賜らんことをこい願い奉り、以上後人のいために記します。

平成7年4月7日
正吉神社奉賛会


正吉神社

この墓石の主が、丈野正吉(本名・吉正)公のようです・・・。


因みに、この初月墓地公園の一角に、長宗我部譜代の家臣で久万城主じゃった久武肥後守昌源墓の墓石もあります。

久武肥後守昌源 - 長宗我部譜代の家臣で久万城主 2011-05-01

二人の子供の内、兄の方は元・佐川城主じゃった久武内蔵助親信。

弟は、奸臣(よこしまな家来)として知られ、長宗我部家を滅亡へと追いやった張本人とされ悪名高き久武内蔵助親直ながです。


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