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小津神社 - 此処も神紋は三本足の八咫烏(やたがらす)

小津神社

[ 高知県高知市幸町 ]


御祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコト) 、大綿津見命(オオワタツミノミコト) 、大国主命の三柱。

小津神社

由緒

今を去る1000年の昔、承平5年(935)土佐の国司であった紀貫之が任期を終え帰京する時、大津より浦戸を経て出向した、と「土佐日記」に記されておりますが、この大津(津は港)に対して小津と云う地名があったのであります。

吾が小津神社は鰐口に刻まれてある銘によりますと、古くは熊野大権現と称され、人々の尊崇の的でありまして、今を去る約530年前、すなわち文明6年(1474)には土佐郡大高坂郷の氏神として小津村に鎮座し、社名を小津宮と称えられるようになりました。

その後、寛文11年(1671)約330年前に現在地に移転して、明治5年(1872)郷社に列しました。

【 参考・引用 】 小津神社



紀州熊野三社権現熊野那智大社を御本社としているので、神紋は熊野の大神(素盞鳴尊)のお仕えとされちゅう三本足の八咫烏(やたがらす)ながです。

サッカー日本代表が用いちゅうシンボルも同じ八咫烏じゃねー。

小津神社

『南路志』の土佐郡江ノ口村の項に「熊野権現宮」とあり、これが現在の小津神社の事じゃと思うけんど、もとは尾戸にあったものを寛文11年(1671)に江ノ口村に移るように命ぜられ、延享2年(1745)社を建てた」とある。

鰐口の銘は「小津宮土州土佐郡大高坂郷小津村御前鰐口于時文明六年甲午八月一日」とあり、小津宮と呼ばれちょったものが、「熊野権現」として現在地に移り、新政府が明治4年(1871))正月5日付で太政官布告の寺社領上知令の布告し(廃仏毀釈)、同年「小津神社」と改称しちゅうがです。

小津神社

現在、御祭神は三柱じゃけんど、大国主命が『日本書紀』にゃ素盞嗚尊(スサノオノミコト)の子として記されちょる事から、最近(2006年頃)になって一緒に御祀りするようになったようです。

大国主命と言えば、出雲大社の御祭神で、『古事記』や『日本書紀』に登場する大国主神・八千矛神・葦原色許男神・大物主神等は同一神とされちょります。

また「大国主命」の”大国”と”大黒”とが同じ読みが出来る事から、大黒さんとして親しまれちょりますねー。

ただ本来「大黒さん」は、インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラで、密教の伝来と共に日本にも伝わり、明治維新までは神仏習合した日本独自の神・大黒天(大国主命)として信仰されちょります。

「マハー」は大(もしくは偉大なる)、「カーラ」は時あるいは黒(暗黒)を意味する言葉で、元は破壊と豊穣の神「大黒天」となったがです。

一般にゃ「五穀豊穣」や「商売繁盛」等の御利益があると信仰されちょりますが、この大国主命にゃ子供がこじゃんとおるがでして『古事記』には180柱、『日本書紀』には181柱と書かれちょるそうです。

ですき夫婦和合の神としても信仰されちゅうところから、出雲大社に若い女性たちが「縁結び」を祈願しに参拝しに行くがでしょうかねー。

その延長線上にゃ「子宝に恵まれる」と言う子作り信仰に結びついちょるがでしょう・・・。

小津神社

その証拠に、「大黒さん」を後ろから見たら、よう判ります。

因みに、この大黒さんの大きさは、四国一とか・・・。

【 参考・引用 】 

大国主 - Wikipedia
大黒天 - Wikipedia






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