櫃屋道清 - 播磨屋宗徳と「はりまや橋」を架ける

櫃屋道清墓

[ 高知県高知市筆山 ]


松本太郎右衛門重利は天正18年(1590)に生まれた人で、櫃屋道清と言う。

初代の父・長勘解由重長は紀州松江(現・和歌山市)の人で天正13年(1585)の織田信長と羽柴秀吉による紀伊征伐の戦乱を逃れて長宗我部元親を頼って土佐に来て、浦戸に住み五台山櫃ヶ谷に領地を与えられたと言う。

屋号の「櫃屋」は此処から来ちゅうと言う。

山内一豊の入国後は高知城下に移り、2代目・櫃屋道清の代で特権商人として仕え財を成し御用商人となり、播磨屋宗徳らと共に町年寄を務めるがです。

今日、高知の観光名所にもなっちょる「はりまや橋」は、江戸時代の始めに城下の竪堀「堀川」の南側に住んじょった櫃屋道清と、北側に居った播磨屋宗徳が互いに両家を行き来する為に架けた橋ながです。

播磨屋宗徳記念碑 - はりまや橋の原型を架けた一人 2012-12-17

因みに桂井素菴の先祖も同じ紀州の人で、天正13年(1585)根来勢で土佐に逃れて来て長宗我部元親に仕えるがですが、長宗我部氏が滅亡すると浪人になり、父の代で酒造業を営み、その後「根来屋」と言う豪商になるがです。

もしかしたら紀州征伐の際にゃ櫃屋道清の父と桂井素菴の先祖は共に戦い、敗れて「もはや此れまでじゃ。共に土佐に・・・」とか何とか言って、土佐に逃れて来て長宗我部元親に仕えた可能性が高いねー・・・。

【 引用・参考 】 『高知県人名事典 新版』 高知新聞社 刊




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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