青龍寺 - 四国霊場第三十六番札所

第36番札所・青龍寺

[ 高知県土佐市宇佐町竜 ]


縁起では、弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、その恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。

独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。

帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。

大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。

【 参考・引用 】 四国八十八ヶ所霊場公式ホームページ:第36番 独鈷山 伊舎那院 青龍寺



第36番札所・青龍寺

第36番札所・青龍寺

仁王門の先にゃ170段の石段が続いちょり、石段を上りきったところに本堂が建っちょります。

左に大師堂、右に薬師堂があるがですが、この配置は唐の青龍寺と同様じゃとか・・・。

第36番札所・青龍寺

第36番札所・青龍寺

本尊の波切不動は、空海が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、不動明王が現れて剣で波を切って救ったといわれ、空海がその姿を刻んだものであると伝えられちょります。

地元では、昔から海上安全や豊漁祈願に崇拝され「龍のお不動さん」として親しまれ、信仰されちょります。

第36番札所・青龍寺

江戸時代初期には荒廃しちょったけんど、土佐藩第2代藩主・山内忠義によって正保年間(1644 - 1648)に再興されたがですが、宝永4年(1707)の地震と津波で大きな被害を受け、江戸末期に再建されたそうながです。

第36番札所・青龍寺

余談ながら、元横綱・朝青龍の四股名の由来は、彼が在籍した出身校「明徳義塾高等学校」が青龍寺のすぐ近くにある事に因んで名づけられたがです。


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