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坂本龍馬の妻・お龍終焉の地 - 晩年は寂しい生涯を送る

坂本龍馬の妻・お龍終焉の地

[ 神奈川県横須賀市米が浜通 ]


京浜急行・横須賀中央駅の東口を出て、米が浜通り入口交差点を右折して約400m程行くと、右側に「おりょう会館(葬祭場)」がある。

その車道側に「坂本龍馬の妻・お龍終焉の地」の碑が建っちょりますが、脇にある電気会社の大きな地上機器(変圧器)が目立ちすぎて、気がつく人は少ないのじゃないろーか。

この碑の近くで、坂本龍馬の妻・お龍さんが晩年寂しい生涯を送り、66歳で亡くなるまで過ごした場所じゃそうです。

実際には、「おりょう会館(葬祭場)」に向かって左側の細い路地の左側の一角じゃったとか・・・。

また、「おりょう会館(葬祭場)」の車寄せ側の柱の陰に、ロビーの方を向いて「お龍さん」の胸像が建っちゅうがです、通りがかりの一般の通行人にゃ気づかんろーねー。

お龍さんの胸像

高知にも「ええ加減にしいよ!」と言いたくなるくらい龍馬の冠を付けた箱物や商売が多いけんど、この「お龍さんの胸像」も、場所柄、イメージ作りの一つじゃないろーかと思うちょりますが・・・。

それにしても「龍馬」と「お龍さん」は、名前の「龍」の字も偶然かも知れんけんど、龍馬が亡くなったのが33歳、お龍さんは龍馬の倍の66歳で亡くなっちゅうと言うのも偶然じゃろーかねー・・・。

お龍 - 贈正四位阪本龍馬妻龍子として眠る 2012-01-28

明治8年(1875)に西村松兵衛と再婚し、西村ツルとなり、横須賀で暮らした。

松兵衛との入籍後に母・貞を引き取り、妹・光枝の子・松之助を養子とした。

明治24年(1891)に母・貞と養子・松之助を相次いで亡くしている。

明治30年(1897)安岡秀峰が聞き書きをするために、お龍さんを訪ねた時には横須賀の狭い貧乏長屋で暮らしていた。

晩年はアルコール依存症状態で、酔っては「私は龍馬の妻だ」と松兵衛に絡んでいたという。

夫に先立たれた妹・光枝がお龍を頼るようになり、3人で暮らすようになったが、やがて松兵衛と光枝が内縁関係になり二人でお龍の元を離れて別居してしまう。

お龍は退役軍人・工藤外太郎に保護されて余生を送った。

日露戦争開戦直前の明治37年(1904年)、美子皇后の夢枕に坂本龍馬が立ったという話が広まり、再び龍馬が注目を集め、お龍の存在も世間に広く知られるようになる。

明治39年(1906年)1月にお龍が危篤に陥ると、皇后大夫香川敬三(元陸援隊士)から御見舞の電報が送られ、井上良馨大将が救護の募金を集めている。

同年1月15日にお龍は66歳で死去した。

墓は横須賀市大津の信楽寺にある。

長く墓碑を建てることができなかったが、田中光顕や香川敬三の援助を受けてお龍の死の8年後の大正3年(1914)8月に妹の中沢光枝が施主、西村松兵衛らが賛助人となりこの墓を建立し、墓碑には夫の西村松兵衛の名ではなく「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。

また、龍馬の眠る京都霊山護国神社にも分骨された。

【 参考・引用 】 楢崎龍 - Wikipedia

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- 2 Comments

北さん へ">

北さん へ  

Re: 知りませんでしたね~。

北さん へ">

葬祭場側が建てたのでなければ、碑の傍に移し変えた方がいいのにねー。

大勢の人に見て、知ってもらった方が、お龍さんも喜ぶろーに・・・。

2013/08/28 (Wed) 22:58 | 北さん へさん">REPLY |   

北さん  

知りませんでしたね~。

地元にいながらおりょう会館に「お龍さん」の胸像が建っているとは・・・。
信楽寺ばかりに目が行って・・・恥ずかしいですね。
「おりょう会館」を新築した時にでも(いつも間にこんなに立派な・・・)設置したのでしょうか?
昔の「おりょう会館」の時は無かったように思いますが・・・
もっとも、目立たないところにあるようですから気がつかなかったのかもしれません。
何はともあれ、ありがとうございます。傍まで行った時に確認してみます。www

2013/08/28 (Wed) 00:30 | REPLY |   

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