お龍君枝姉妹像 - 芸西村は妹・君江の嫁ぎ先、千屋寅之助の故郷

お龍君枝姉妹像

[ 高知県安芸郡芸西村和食・琴ヶ浜  ]


以前にも御紹介しちょります、芸西村の琴ヶ浜に建っちょります「お龍君枝姉妹像」ながです。

お龍さんは坂本龍馬の妻で、妹・君江は海援隊士・千屋寅之助(菅野覚兵衛)の妻。

そんで、千屋寅之助(菅野覚兵衛)の故郷が此処「芸西村」ながです。

慶応3年(1867)坂本龍馬が京都で暗殺された翌年の慶応4年(1868)に、お龍さんは長崎で妹・君江を千屋寅之助(菅野覚兵衛)に嫁がせます。

その後、京都の坂本龍馬の墓前に詣でた後、龍馬の本家・土佐の坂本家に来ちょります。

この辺の事を、川田雪山が「お龍」さんから聞き、明治32年に「土陽新聞」に連載した『千里駒後日譚』に下記のように書かれちょります。

・・・龍馬が斬られた時は私は長州の伊東助太夫の家に居りました。

丁度十一月の十六日の夜私は龍馬が、全身朱(あけ)に染んで血刀を提げしよんぼりと枕元に立つて居る夢を見て、ハテ気掛りな龍馬に怪我でもありはせぬかと独り心配して居りますと、翌(あく)る十七日の夕方左柳高次が早馬で馳せ付け私の前へ平伏して、姉さん、と云つたきり太息(といき)をついて居りますから、扨(さ)ては愈々と覚悟して、こみ上げる涙をじつと抑へ、左柳これを着かへなさいと縮緬の襦袢を一枚出してやつて別室で休息させ、私は妹の君江と共に香を焚て心斗(こゝろばかり)の法事を営みました。

九日目に三吉さんや助太夫やも寄合つて更(あらた)めて法事を営みましたが、私は泣いては恥しいと堪え堪えしていましたが到頭堪え切れなくなつて、鋏で以て頭の髪をふツつりと切り取つて龍馬の霊前へ供へるが否や、覚えずワツと泣き伏しました。

ソレから色々して居る内中島(中島信行)と石田英吉、山本幸堂の三人が迎へに来て、一旦長崎へ下り龍馬の遺言で菅野と君江との婚礼を済ませ、それから大坂へ出て、土佐へ帰りました。

【 参考・引用 】 『千里駒後日譚』


けんど、坂本家での生活は長くは続かんかったようで、3ヵ月程で妹・君江の嫁ぎ先である、此処、芸西村の千屋家に身を寄せるがです。

坂本家を出たのは、お龍さんと龍馬の姉・乙女姉さんとが不仲じゃったとか何ぞと言われるけんど、お龍さん本人は「乙女さんには親切にしてもらいました」とも語っちょります。

姉さんはお仁王と云ふ綽名(あだな)があつて元気な人でしたが私には親切にしてくれました。

・・・私が土佐を出る時も一処に近所へ暇乞ひに行つたり、船迄見送つて呉れたのはお乙女姉さんでした。

【 参考・引用 】 『千里駒後日譚』


お龍さんの晩年の回顧録『反魂香』(明治32年)にゃ、不仲だったのは義兄・坂本権平さん夫婦じゃったと書いっちょりますねー・・・。

お龍・君江 姉妹像 - 和食・琴ヶ浜 2009-11-16
菅野覚兵衛・起美 - 妻は「お龍」さんの妹ですき、龍馬とは義理の兄弟 2013-05-16

お龍さんが、芸西村に居たのは、約一年ほどの事じゃったそうながです。


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4 Comments

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北さん へ  

Re: タイトルなし

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もう少し、お待ちを・・・

2013/08/25 (Sun) 23:02 | 北さん へさん">REPLY |   

北さん  

以前、その前をたまに通っていましたが全く分りませんでした。
ありがとうございます。UP心待ちにしています。
近くの病院に行く機会も出来ましたので一寸足を伸ばして覗いてみます。
場所が場所だけに「ご予約ですか?」何て言われないようにしゃきんとした様子でね。www

2013/08/25 (Sun) 11:15 | REPLY |   
北さん へ">

北さん へ  

Re: タイトルなし

北さん へ">

横須賀・米が浜通りにある「おりょう会館」(葬祭場)の道路脇に「お龍の終焉の地」を示す碑があり、その葬祭場の玄関の車寄せの所に「お龍さんの胸像」があります。

ただ通りからだと柱の陰になり、玄関の方を向いていて光が当たらない場所ですので、気がつく人は少ないと思います。

「お龍の終焉の地」にあやかった、「お龍」さんの冠をつけた葬祭場のイメージのためのような気もしますが・・・。

近いうちにUPします。

2013/08/24 (Sat) 09:35 | 北さん へさん">REPLY |   

北さん  

立派な銅像を建てて貰って・・・
お龍さん終焉の地、横須賀にはどこにもお龍さんの像は建てて貰っていませんねえ。
お墓のある信楽寺に小さな像が置かれてあるだけです。

2013/08/24 (Sat) 06:19 | REPLY |   

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