由比猪内 - イカルス号事件で談判した土佐藩代表の一人

由比猪内墓

[ 高知県高知市・筆山 ]


慶応3年(1867)7月6日、長崎で英艦イカルス号水夫2人が殺害されるというイカルス号事件が起こり、坂本龍馬率いる「海援隊隊士」に嫌疑が及ぶ事になる。

この時、須崎湾に浮かぶ土佐藩・夕顔丸船上で、土佐藩代表の一人として、英公使・バークスと談判した人ながです。

近藤長次郎とも接点があり、安政6年(1859)に由比猪内の下僕として江戸に出、岩崎弥太郎の師でもあった安積艮斎の門人とっちょります。

また中岡慎太郎の陸援隊本拠地を、京都白川の土佐藩邸にあてる事に尽力したのも、この人ながです。

由比猪内は文政2年(1819)に土佐藩士馬廻格・山田孫右衛門清道の三男として生まれ、同格の油比喜三之進直道の養子となっちょります。

天保10年(1839)跡目相続後、郡奉行などを務め、嘉永元年(1848)江戸御近習目付、江戸御軍備御用、嘉永2年(1849)には大目付となる。

安政6年(1859)にゃ仕置役、元治元年(1864)には軍艦奉行、慶応元年(1865)には開成館軍艦局担当、明治2年(1869)中老格参政にまでなった、土佐藩の重役ながです。

明治3年に隠居し、明治24年73歳の生涯を閉じちょります。

因みに、慶応3年(1867)土佐藩船「夕顔」にて坂本龍馬が口述し長岡謙吉に「船中八策」を書き取らいちょりますが、この時の土佐藩船「夕顔」の船長・由比畦三郎は、由比猪内の養子になった人ながです。

【 参考・引用 】 ■ 『高知県人名事典』 高知新聞社




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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