千代丸地蔵 - 長宗我部元親に殺害された外孫・千代丸を供養

千代丸地蔵堂

[ 高知県高知市吸江・吸江寺 ]


坂本龍馬、最後の帰国の際に足跡を残した場所じゃと御紹介した吸江庵跡(吸江寺)は、長宗我部元親にも関わる場所ながです。

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吸江寺の石段を右の方に上って行くと、千代丸地蔵堂があり、その左側に千代丸様と呼ばれちょる御地蔵さんが立っちょります。

千代丸地蔵

この千代丸様とは、一条内政の子・千代丸なが。

話は天正年間の戦国時代の土佐のこと。

永禄12年(1569)幡多(現・四万十市周辺)の領主じゃった土佐一条家当主・一条兼定は、土佐の東に勢力圏を構えちょった妹婿の安芸国虎と共に、土佐の中部で勢力を増しつつあった長宗我部元親を討とうとしたがですが、逆に安芸国虎は長宗我部元親に討たれるがです。

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その後は一条氏の勢力圏は長宗我部元親に徐々に蚕食され、また重臣たちの信望を失い天正元年(1573)隠居を強制され、さらに天正2年(1574)豊後臼杵へ追放され、一条家は長男・内政が継ぐがです。

そして長宗我部元親によって土佐国司とされ、謀反を起こさぬように自分の目の届く範囲にある長岡郡(現・高知市)の大津城(天竺城)に移し、長宗我部元親の娘を娶らせるがです。

ところが天正8年(1580)に長宗我部国親に側近として仕え、国親の娘(長宗我部元親の妹)を正室に迎え長宗我部氏の一門となっちょった波川玄蕃城主(現・いの町)の波川玄蕃が謀反を起こすがです。

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原因は、伊予国(現・愛媛県)で河野氏から寝返ってきた大野直之を援護するために派兵された際に、河野氏の援軍に訪れた小早川隆景軍と独断で和睦を結び、直之を見捨てて退却するなど失政を犯したため蟄居させられ事が不満で反乱を企んだが露見し、阿波国へ逃れたけんど結局は自刃して果てた。

波川清宗 - Wikipedia

この謀反に娘婿である一条内政が加担しちょったとして、伊予法華津に追放され、同国の法華津氏や豊後大友氏に援助を求めるが、その地で病死したとも、元親によって毒殺されたとも言う。

一条内政 - Wikipedia

その一条内政には千代丸と言う子が居った。

千代丸は「父・一条内政が長宗我部元親よって殺された」と言う話を知り、いつしか祖父でもある長宗我部元親を仇として憎しみを抱くようになるがです。

長宗我部元親は、千代丸を此処「吸江庵」に預けるがですが、憎しみは消える事はなかった。

いつしか短刀を胸に忍ばせ、「いつかこの手で憎い元親の首を」と広言しちょったそうです。

その事を知り怒った長宗我部元親は、家臣に外孫にもなる千代丸を殺すように命令するがです。

天正17年9月19日未明、月見と称し家臣たちに誘われた千代丸は、浦戸に出た小船の上で首を刎ねられたと言う。

けんど、斬り落とされた首は海には落ちず、大きく口を開き小舟の船べりに噛み付いて離れなかったそうです。

この時、千代丸12歳。

後に土地の者が吸江庵の近くに埋葬し、その上に地蔵を立てて供養したのがこの「千代丸地蔵」と呼ばれる御地蔵さんながです。

この「千代丸地蔵」、首から上の病気と女性の甲状腺疾患に御利益があり、御願ほどきをする時にゃ「姫ダルマ」を奉納するがじゃそうですよ・・・。

【 参考・引用 】 『土佐のごりやくさん』 市原鱗一郎・著 




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