三浦休太郎 - いろは丸沈没事件で坂本龍馬に恨みを持つ

三浦休太郎墓

[ 東京都豊島区西巣鴨・妙行寺 ]


慶応3年(1876)11月15日、京都近江屋で、海援隊隊長・坂本龍馬と陸援隊隊長・中岡慎太郎と言う土佐の2人の巨頭が暗殺された。

「龍馬暗殺」には諸説あり、どれが本当なのか未だに謎ながですが、その説の一つに「いろは丸沈没事件」に絡む紀州藩説がある。

紀州藩公用人・三浦休太郎は紀州藩の代表として坂本龍馬と交渉するがですが8万3000両と言う賠償金を支払わされた事で、坂本龍馬に恨みを持ちょったき龍馬暗殺の黒幕じゃと言う説ながです。

いろは丸 - Wikipedia


坂本龍馬と海援隊で共に行動した陸奥陽之助は、三浦休太郎が大垣藩士・井田五蔵らと共謀して京都にて不穏な動きをしていることと、坂本龍馬に恨みを持ち龍馬暗殺の黒幕じゃとして、海援隊士・陸援隊士らと仇討ちを計画するがです。

危険を感じた紀州藩は、会津藩を通して新選組に三浦の警護を依頼した。

天満屋で三浦休太郎の護衛に新選組の斎藤一、大石鍬次郎ら7名がついた。

慶応3年12月7日(1868年1月1日)、海援隊・陸援隊士ら総勢16名(15名とも)が、三浦休太郎、新選組隊士らが天満屋2階にて酒宴を行っていたところを襲った。

出会い頭に十津川郷士の中井庄五郎が「三浦氏は其許か」というなり斬りつけ、三浦休太郎は頬頤を負傷する。

その後、両者は入り乱れるが、燈火を消し、暗闇での戦闘となる。

斎藤は後から斬りかかられ、命を落としそうになったが、梅戸勝之進(平隊士)が斎藤を守った。

変を聞きつけた新選組、紀州藩が援助に向かったものの、着いた頃には陸奥らは素早くその場を引き揚げていた。

この事件で、襲撃側は中井庄五郎が死亡、2、3名が負傷した。

一方の新選組は宮川信吉と舟津釜太郎が死亡、重傷1名、負傷者3名を出し、紀州藩では三浦が頬頤に傷を負い、三宅精一、関甚之助も軽傷を負った。

【参考・引用】 天満屋事件 - Wikipedia


この事件で、三浦休太郎は顔面を負傷するが命に別状は無かった。

戊辰戦争が勃発すると一時捕縛されたが、間もなく釈放されて明治政府に出仕し大蔵省官吏、元老院議官、貴族院議員を経て、第13代東京府知事となるが淀橋浄水場をめぐる疑獄事件から不信任されて知事を解任された。

知事解任後は、宮中顧問官などを歴任し、明治43年(1910)81歳で没。

三浦安 - Wikipedia

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1 Comments

茶坊たがわ  

はじめまして。

今日、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」のいろは丸沈没事件の所を読んだのでよくわかりました。浪人集団と見下していた紀州藩に対して、万国公法に従って交渉するところは痛快でした。
ただ、いつも命がけだったんですよね。

こんどドラマ化するなら誰に竜馬さんを演じてもらおうかななどと考え
ます。
ZINの内野さん、良かったけど、剣の達人のイメージがない!
この時代、千葉道場の塾頭は武士のリーダーですものね。桂小五郎は斎藤道場の塾頭、武市半平太は桃井道場の塾頭。
龍馬伝の福山雅治、線が細すぎかな!
なかなかいませんね。

2013/07/15 (Mon) 21:17 | REPLY |   

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