沢辺琢磨 - 「八重の桜」山本八重の夫となる新島襄とも接点がある

沢辺琢磨墓

[ 東京都港区南青山・青山霊園 ]


墓碑に刻まれちゅう「日本基督正教會長司祭 パエル澤邊琢磨師之墓」こそ、坂本龍馬の従兄弟・沢辺琢磨(元・山本琢磨)の墓です。

江戸に居た時、酒を飲んでの帰り道、拾った金時計を酔った勢いで一緒にいた友人と時計屋に売った事で窮地に追い込まれ、親戚になる坂本龍馬と武市瑞山(半平太)の助けを得て江戸を脱出し、蝦夷の箱館(現・函館市)に渡るがです。

箱館では箱館神明宮(現・山上大神宮)宮司の沢辺悌之助に請われて娘の婿養子となり、山本から沢辺姓を名乗るようになるがです。

そして慶応4年(1868)洗礼を受け、箱館でロシア領事館に付属するロシア正教会のニコライ神父より洗礼を受け日本で最初の信者となり、明治8年(1875)日本人最初の司祭にもなり、ニコライ神父と共に伝道活動に人生を捧げて行くがです。

沢辺琢磨 - Wikipedia


沢辺琢磨は、新島襄とのエピソードもあるがですねー。

現在(2013)放送中のNHK大河『八重の桜』に関連する「西郷頼母」の記事で、沢辺琢磨との接点があった事を書いたけんど、同じNHK大河『八重の桜』の後半、戊辰戦争後の京都で主人公の山本八重が兄・山本覚馬の元に出入りしよった人物と知り合い再婚するするがですが、その相手が「新島襄」ながです。

西郷頼母邸跡 - 函館戦争の時、長子・吉十郎を沢辺琢磨に託す 2013-06-23

函館でアメリカへの密航を計画しちょった新島七五三太(新島襄)は、元治元年(1864)5月友人の紹介で沢辺琢磨に出逢い相談を持ちかけ、イギリス人経営のポーター商会支配人・福士宇之吉(後の成豊)の協力を得て、箱館-上海間を航行するアメリカ船ベルリン号で、日本から密航するがです。

新島襄ブロンズ像 - 函館 Date: 2010/06/14 blog「オンちゃんはゆく」

この時代は、禁を犯して密航を企てた者も協力者も捕まったら死罪の時代、後年帰国しても密航の協力をしてくれた沢邊琢磨と福士宇之吉(後の成豊)に対する恩は決して忘れることはなかったと言う。

因みに、新島七五三太から新島襄と改名したがは、船中で船長ホレイス・S・テイラーに「Joe(ジョー)」と呼ばれてちょった事が由来じゃそうです。

沢邊琢磨は間接的ながら、「会津」に縁があるがですねー。
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