高知城に残る石垣の遺構 - 長宗我部元親が岡豊城から移り築城

長宗我部期の石垣

[ 高知県高知市丸の内・高知城 ]


現在の高知城は、慶長6年(1601)8月に、山内一豊が百々越前に命じ、大高坂城に手を加え本丸などを築城したがです。

百々越前 - 高知城の築城奉行 2009-04-16
高知城 - 高知の名の由来 2012-04-30

元々は、南北朝時代にゃ大高坂松王丸が大高坂山を拠点として土佐北朝方と戦いよったがですが、その後、天正16年(1588)に長宗我部元親が岡豊城から大高坂山に移り築城したがですが、周囲が川に挟まれたデルタ地帯じゃったため、何度も水害に悩まされ城下町を造る事をあきらめて、浦戸に移ったがやと。

「南北朝」所縁の地 - 大高坂松王丸の記念碑 2009-08-20 

その浦戸城は、現在、桂浜の坂本龍馬記念館のある場所が本丸や天主閣のあった場所になるが。

浦戸城跡 - 桂浜 2008-09-02

長宗我部期の石垣

写真の石垣の遺構は、平成12年(2000)に、高知城の三ノ丸石垣改修工事の事前調査として発掘調査された際に出土したもので、「その盛土から中世の遺物以外のものが出土していないため、長宗我部元親が築城した際に構築されたものと考えられる。また、豊臣家から拝領したものと推定される桐紋瓦も盛土の中から出土している。これは、瓦葺きの建物があったことを示すとともに豊臣家との結びつきを示す資料である。」と説明板にも記載されちょり、山内氏の高知城に残る長宗我部元親によって築かれた石垣の一部ながです。

因みに、「高知城の三の丸」言うたら毎年桜の時期にゃ「花見」の宴の場所じゃったけんど、三ノ丸石垣改修工事が終わっても、一部の桜の木は北側の辷山(すべり山)の方に移植されたままになっちょります。

「高知城の桜」のイメージ的にも、昔のように三の丸を桜で一杯にして欲しいと節に願っちょりますが・・・。


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