安藝次左衛門 - 先祖は安芸国虎一族

安藝次左衛門墓

[ 高知県高知市・五台山 ]


先祖は、安芸国虎の一族。

曽祖父・越後守元氏は、永禄12年(1569)安芸国虎が長宗我部元親に滅ぼされた時、安芸国虎の嗣子・千寿を連れ阿波に逃れた。

祖父・左近丞元康は、後に旧領・安芸の畑山に帰り山内一豊が土佐に入って来たのちは庄屋を務める。

代々庄屋職を受け継ぎよったけんど、承応3年(1654)郷士に召出される。

その後、、田野・奈半利分一並に米奉行・御国中浦浦銀子貸奉行を経て、寛文元年(1661)郷士頭兼御材木方となり寛文7年(1667)小目付、寛文10年(1670)知行百石新田百石計二百石の分限となり、延宝2年(1674)御小姓格に列した。

元禄16年(1703) 79歳で没。

【参考・引用】 『土佐の墓』 山本泰三・著


「妖婦をめぐる仇討」

寛文年間、安芸郡田野、奈半利両浦の奉行をしよった浅利八郎左衛門は六十近くになったため実務を息子・四郎太夫に任せ楽隠居にはいるがです。

ある時、すぐ隣におった沖船頭・市右衛門が、上方を行き来するうち何処からか年若く、美貌と言い身なりと言い船頭風情に似つかわしくない美しい女房・お定を連れて来た。

そのうち、お定と四郎太夫は深い中になったがです。

それを知った市右衛門は、女房を寝取った四郎太夫を誘き出して、殺害する事件が起こるが。

この事件を浅利八郎左衛門が藩丁に届け出て、取調べの結果「お定」は打首の刑に処せられるが、市右衛門は追放され上方に逃げる。

その逃れた市右衛門を、四郎太夫の弟の喜三郎が兄の敵討ちをすると言うお話の中に、藩庁より吟味役として遣わされ取調べをしたのが「安藝次左衛門」として名前が出ちょります。

【参考・引用】 『土佐奇談実話集』 小島徳治・著 昭和32年

【 2013.06.20 加筆 】


安芸城 - 土佐の七守護の一人、安芸国虎の居城 2011-09-08


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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