奥宮 禮(暁峰・正路) - 多くの墓碑や記念碑の撰文に名を残す

奥宮 禮(暁峰・正路)墓

[ 高知県高知市高見町・高見山 ]


奥宮正路(おくのみや まさじ)は文政2年(1819)に土佐郡潮江土居(現・高知市)の奥宮辨三郎の次男に生まれ、名を正路、別名・禮、号は暁峰(ぎょうほう)と言う。

兄は儒学者・陽明学者・神道学者・禅学者で勤王家でもあった奥宮慥斎(おくのみや ぞうさい)ながです。

幼年より書を学び、16歳ですでに長浜村で習字を教えていたいたそうながです。

家老・深尾氏に仕え江戸に出、山口管山に入門し書を習い塾長も務め、佐藤一斎や安積艮斎(あさか ごんさい)にも出入りして教えを受けちょります。

ちなみに佐藤一斎の元では、佐久間象山も同席しちょったと言う。

学統は陽明学で、のちに若山勿堂に入門し易学も学んじょります。

維新前にゃ、一時、致道館の教授を務めるが、維新後は上京し教部省に入り官職に付く。

明治13年(1880)に土佐に戻んて来て海南私塾分校(小津高校)の教師となり、明治20年(1887)退職。

晩年は江ノ口川大川渕(現・高知市大川筋)に居を構え、文章・墨技を楽しみとして余生を送った。

明治26年 75歳で病死しちょります。

県内には、多くの墓碑や記念碑の撰文に彼の名・奥宮 禮(暁峰・正路)が刻まれ残っちょります。

[ 参考・引用 ] ■ 『高知県人名事典』 高知新聞社




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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