浅井藤右衛門 - 墓碑撰文は坂本龍馬に西洋事情を説いた河田小龍

浅井藤右衛門墓

[ 高知県高知市・西真宗寺山 ]


初代は近江の人で、土佐に来て佐野屋を起こし紙類・醤油等を商い、二代目の時に船で大阪との取引を行って財を成し、一代毎に藤右衛門と藤十郎を襲名したそうです。

土佐じゃ「浅井金持ち、川崎地持ち、上の才谷屋道具持ち、下の才谷屋娘持ち」と古い俗謡 にも詠われちゅう「浅井」は、この墓の主四代目・政利の代の頃のことのようです。

安政の大地震の折には、自宅が全焼する中、「こんな時に窮民(生活に困っている人々)を助けんと人じゃない」と、焼け跡から金銀の延べ棒を掘り出し救済に当てたり、幕末には五万両の御用金を拠出したと言う。

明治12年(1879) 56歳で亡くなっちょります。

【参考・引用】 『土佐の墓』 山本泰三・著

 
浅井藤右衛門墓

墓碑には「河田小龍撰 併書」とある。

安政元年(1854)坂本龍馬が最初の江戸留学を終え土佐に戻んて来た時に、河田小龍を訪ねちょります。

その時、河田小龍はジョン万次郎から伝え聞いたアメリカでの体験や事情を説き、その後の龍馬の思想や行動に大きく影響を与えちょります。

ちなみに、坂本龍馬の本家・才谷屋は、武士の家禄や道具類を抵当に「金貸し」もしよりましたき、「蔵の中には立派な道具類がある」と言うことから、上記の俗謡にも詠われるような土佐の三豪商にも入る財力を持っちょったがです。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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