西村左平次邸跡碑 - 堺事件・2番目に切腹

高知城百景 - 第28景

[ 高知県南国市稲生 ]


西村左平次は弘化2年(1845)土佐郡江ノ口村(現・高知市)の馬廻組・西村清左衛門の子として生まれちょります。

慶応4年2月7日泉州堺表警備八番隊司令となるが、同月15日に発生したフランス軍との紛争の際、同じ土佐藩の六番隊司令・箕浦猪之吉と共に発砲を命じ、フランス水兵16名が殺傷した事件が起こるがです。

フランスの要求、は関わった土佐藩兵士をすべて処罰せよとの無理難題じゃったけんど、隊長以下二十人を処罰することで決まるがです。

指揮官じゃった西村左平次と箕浦猪之吉ら4名は死刑が決定じゃったけんど、処罰される残り16名は土佐稲荷神社(現・大阪市西区)で籤(くじ)を引いて決めたと言う。

そして堺の妙国寺で土佐藩士20人の刑の執行が行われちょります。

最初に箕浦猪之吉が切腹。

2番目が西村左平次じゃった。

享年24歳。

無念じゃったろーねっ・・・。

辞世の句 「風に散る露となる身はいとはねど心にかかる国の行末」

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