西郷隆盛・勝海舟会見之地碑 - 江戸城無血開城

岩村通俊墓

[ 東京都港区芝5丁目 ]


慶応4年(1868)3月13日に駿府を立った西郷隆盛が池上本門寺の官軍本陣に入ると、到着を待っちょった勝海舟は同寺に出かけ同寺内の松涛園で西郷と一回目の交渉に入り、14代将軍徳川家茂正室・静寛院宮(和宮)の処遇問題と、徳川慶喜の降伏条件を話合うがです。

そして翌日、二回目の交渉が行われるがですが、その会談の場所が三田の薩摩藩蔵屋敷じゃったがです。

幕府側は勝海舟や大久保一翁・山岡鉄太郎(鉄舟)らが、東征軍の西郷隆盛らと交渉するがです。

1 徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する。
2 慶喜を助けた諸侯は寛典に処して、命に関わる処分者は出さない。
3 武器・軍艦はまとめておき、寛典の処分が下された後に差し渡す。
4 城内居住の者は、城外に移って謹慎する。
5 江戸城を明け渡しの手続きを終えた後は即刻田安家へ返却を願う。
6 暴発の士民鎮定の件は可能な限り努力する。

西郷隆盛は勝海舟や大久保らを信頼し両者の合意がなされ、翌日に迫った東征軍の江戸城総攻撃の中止命令を出し、江戸城の無血開城となるがです。

現在、薩摩藩蔵屋敷跡にゃ「江戸開城 西郷南州(隆盛)・勝海舟会見之地碑」が建っちょります。
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