黒岩直方 - 龍馬、三条実美に面会後、一緒に下関に

黒岩直方墓

[ 東京都台東区谷中・谷中霊園 ]


ミュージカルを映画化した『レ・ミゼラブル』がヒットしちょりますねー。

オンちゃんらーの世代だと『ああ無常』と言うた方が、通りがいいと違うろーか。

改めて説明する必要はないと思うけんど、『レ・ミゼラブル』は1862年にフランスのヴィクトル・ユーゴーが、1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンの生涯を描いた大河小説ながです。

それが日本で最初に紹介されたがは森田思軒と言う人が一部を『哀史』の題名で訳したけんど完訳には至らず、黒岩涙香(くろいわ るいこう)が翻訳し明治35年(1902)10月8日から明治36年(1903)まで『噫無情(ああむじょう)』のタイトルで『萬朝報』に連載したのが最初ながですよ。

知っちょりました・・・?

今回の記事は、その黒岩涙香の叔父・黒岩直方のお墓ながです。

黒岩直方は天保8年(1837)に安芸郡土居村(現・安芸市)の郷士・玄治の二男として生まれちょります。
三条実美の衛士として上洛し、文久3年(1863)8月の八月十八日の政変(八一八政変)で都落ちに随従して長州に逃れる。
王子に勤め坂本龍馬らと交流。
のち戊辰戦争に参加。
維新後は東京府大属、司法省、宮内省諸管を歴任。
明治23年(1890)山階家宮、久邇宮の家令を勤仕した。
明治33年 64歳で没。

【参考・引用】 『高知県人名事典 新版』 高知新聞社 刊


坂本龍馬の年表にゃ、慶応元年(1865)5月28日にゃ、坂本龍馬、土佐藩安芸守衛と共に太宰府を出立(山家・木屋瀬泊)とある。

大宰府で三条実美に面会し、長州藩士小田素太郎を懸け橋に長州藩と連絡を取り、安芸守衛と共に下関に入り、土方楠左衛門(久元)から中岡慎太郎も薩長和解へ動いている事を知るがです。

この土佐藩安芸守衛とは黒岩直方の変名で、他にゃ磯部寛一郎と言う変名もある。

安芸市の浄貞寺にも、お墓がある。
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