小松孫四郎 - 撰文は坂本龍馬の盟友で海援隊士・石田英吉

小松孫四郎墓は石田英吉撰

[ 高知県高知市薊野・真宗寺山 ]


高知市の真宗寺山にある小松孫四郎の墓碑にゃ「高知県知事 石田英吉撰」と刻まれちょります。

石田英吉とは、言わずと知れた坂本龍馬の盟友で、海援隊士でもあった石田英吉の事ながです。

坂本龍馬と亀山社中や海援隊の結成に参加し、下関海戦ではユニオン号の指揮を任せられ活躍し、長岡謙吉とともに「二吉」と賞された逸材じゃった人ながです。

小松孫四郎墓

その墓の主・小松孫四郎とは如何言う人物かと言うと

諱・幸盛。
下知村(現・高知市)郷士・小松重忠長子。
幼より武を好み、剣・要馬・抜刀・槍・銃を学んで技大いに進み召しだされて剣術導役になり門人数百人、戊辰東征に従軍して功有り藩士に列せられた。
暇を請い天下を歴遊して技を究め、東京で桃井氏の門に入った。
廃藩後推されて戸長となり、山内氏が旧臣を召して御苑で要馬術を天覧に供した時には孫四郎も参加し酒絹の賜の栄に浴した。
明治17年(1884)警察史となり剣法を教えた。
明治26年(1893) 52歳で没。

【参考・引用】 『土佐の墓』 山本泰三・著



亡くなられた明治26年(1893)当時、墓碑に「高知県知事 石田英吉」とあるのは明治25年11月から明治30年4月まで知事職を務めよったからながです。

また「東京で桃井氏の門に入った」とは、「桃井春蔵の士学館道場」の事じゃと思われます。

それと戸長(こちょう)とは、明治時代前期に区・町・村に設置された行政事務の責任者のことです。

要馬術とは、土佐の領主じゃった・長宗我部元親が、治に在つて乱を忘れずと云ふ注意より、常日頃より実戦を摸擬した鍛錬を臣下に命じ、以後、幕末までの土佐藩の武道流儀の一つとなる。

藤波神社祭礼の騎馬武者

写真は「藤波神社祭礼の騎馬武者」とタイトルされた戦前の絵葉書(マイ・コレクション)じゃけんど、こんな風な装いで、鍛錬しよったがやろーか・・・。

小松孫四郎墓にある石山孫六の名

それと、墓の台座にゃ23人の名前が刻まれちょり、その中に「石山孫六」の名もある。

石山孫六も、剣の使い手で土佐藩剣道指南役を務めた人ながです。
石山孫六の碑 2011-03-29
[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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2 Comments

紅葉 さんへ">

紅葉 さんへ  

Re: こんばんは~

紅葉 さんへ">

そうです小野派一刀流の剣豪です。
高知城の丸の内緑地にも碑が建っちょりますよ。

2013/02/08 (Fri) 22:56 | 紅葉 さんへさん">REPLY |   

紅葉  

こんばんは~

ご無沙汰しております。
お元気そうですね。

石山孫六聞いたことあります。
剣豪ですよね。

2013/02/08 (Fri) 20:45 | EDIT | REPLY |   

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