松尾城址 - 長宗我部元親重臣・久武内蔵助が居城

佐川・松尾城址

[ 高知県高岡郡佐川町甲 ]


南北朝時代に、土佐の南朝方じゃった佐河(佐川)四郎左衛門が築城。

当時のこの地方は土佐南朝方の有力な拠点じゃったそうで、近隣の越知(現・越知町)斗賀野(とがの)の勢力と共に各地に転戦し、北朝方と戦いよったと。

暦応(南朝暦)3年(1340)正月28日付けの佐伯経貞軍忠状(西岡家文書)によると、佐河(佐川)四郎左衛門入道は花園宮(満良親王)の麾下(大将の指揮のもとの意から、花園宮の家来)として南朝方・大高坂松王丸の守る大高坂城(現・高知城)の攻防戦に加わっちょります。

高知城 - 高知の名の由来 2012-04-30
吉野(南北)朝廷時代古戦場跡 2009-08-21
「南北朝」所縁の地 - 大高坂松王丸の記念碑 2009-08-20 

しかし康永2年(1343)、佐河(佐川)四郎左衛門入道に対する北朝方の進攻令が出され、敗退しちょります。

その後、戦国期の弘治2年(1556)にゃ惟宗姓中村越前守信義が居城とし、山頂に松尾八幡宮を勧請し松尾城となったがじゃそうです。

元亀元年(1570)長宗我部軍に降伏した後は、長宗我部元親の重臣でのちに伊予軍代になる久武内蔵助が入城すけんど、水不足の為、天正元年(1573)古城山に居城を移しちょります。

佐川城址 - 長宗我部家臣・久武親信の居城 2011-03-10
乗台寺 - 長宗我部家臣・久武氏の菩提寺 2010-10-29
久武肥後守昌源 - 長宗我部譜代の家臣で久万城主 2011-05-01

その間、約240年間の城跡じゃそうです。

佐川・松尾城址の説明板

【参考・引用】 
『佐川・松尾城址の説明板』より抜粋
『高知県の歴史 日本歴史地名大系40』 平凡社




MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment