小田原平兵衛 - 夢のお告げで建てられた墓石で、文字は谷秦三

小田原平兵衛墓

[ 高知県高知市塩屋崎・筆山 ]


小田原平兵衛に関する人物像は判らんけんど、『土佐の墓』に掲載されちょりますき、ご紹介をしちょきます。

人間誰しも夢を見るけんど、一口に夢と言うても不吉な嫌な夢もあろうし、良いことの兆しを感じる夢もある。

ましてや、見た夢がそのまま現実になれば「正夢」となる。

信じるか否かは別にして、そんな不思議な夢により建てられたのが、小田原平兵衛のお墓じゃそうです。

元禄元年(1688)この墓の主・小田原平兵衛吉之が病死して、年忌にあたる夜に、嫡子(家督を継ぐ者)が夢を見たと。

「亡き父の墓石を建てよ。石は秦泉寺寺村奥・鎌研と言う所に、高さ○尺、形かくの如き自然石があるき、文字は谷丹三郎、石工は某氏に頼んで建てよ・・・」と言うような夢じゃったと。

普通なら、こんな夢を見たと言うても、誰しも「変な夢」を見たなーにしか思わんよねー。

ところが、両三日後(2、3日後)になって、夢のお告げにあった谷氏と某石工が「自分たちも同じ夢を見た」と言うて来たがやそうです。

そんで嫡子が夢に告げられた場所に言って見ると、大きさ・形状が寸分違わん石があったがやそうです。

それが、この墓石で『皆山集』に「歿年(ぼつねん)行年(亡くなった年齢)を一行に書いた所は上から下まで巾五寸位のたてに窪き樋(「くぼんだ所が雨どいように」の意味かな?)が通って人工を労したように見える珍しい珍石である」と記載されちょるそうです。

【参考・引用】 『土佐の墓』 山本泰三・著


この墓石の文字を書いた谷丹三郎とは、谷丹三郎重遠、つまり谷秦山(号)の事です。

ですき偉人ではないけんど、谷秦山が墓石の文字を書くような間柄であったのは間違いないのかなと・・・。

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[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
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