桂井素菴 - 文化・文政期以前は才谷屋と並ぶ金持ちで儒学者

桂井素菴墓

[ 高知県高知市薊野・真宗寺山 ]


・・・当時高知城下の分限者は中央にて仁尾久太夫と櫃屋道清是第一たり。
下町にては酒屋の根来屋又三郎、上町にては此坂本の才谷屋八兵衛等皆屈指のものなりき。
(因にいふ浅井川崎両家は、文化文政以後の出世にて当時は其名なし)・・・

【参考・引用】 『南国遺事』寺石正路・著 「其二 坂本家祖先財産」より


この根来屋又三郎が、墓の主・桂井素庵の事で、『南国遺事』に記載されちゅうように、当時、坂本龍馬の本家・才谷屋、仁尾久太夫(長崎貿易で財を成した商人)、櫃屋道清(商人で、はりまや橋を架けた一人)と並ぶ「金持ち(分限者)」じゃったがです。

桂井素庵は、承応元年(1652)に根来屋の桂井光直の子として生まれ、名を光実、通称・又三郎(亦三郎)、素庵は号で、江戸時代前期の朱子学の儒学者ながです。

寛文2年(1662)11歳の時に、黒岩慈庵に入門するがですが、土佐藩第3代藩主・山内忠豊の時、野中兼山が失脚して「寛文の改替」が起こり翌年の寛文3年(1663)に朱子学(南学)は弾圧され、学者は四散し黒岩慈庵も土佐を離れ江戸に去るがです。

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それでも桂井素庵は晩年まで朱子学者じゃったそうです。

寛文12年(1672)21歳の時に、郷士に起用され、東秦泉寺(現・高知市)に居を移す。

延宝8年(1680)、28歳の時、何があったがかは判らんけんど家僕斬殺の罪で高知城下から追放となり、宇佐浦(現・土佐市宇佐)に謫居(罪を受け流されること)しちょります。

元禄4年(1691)、39歳で罪を許され高知城下に戻るがですが、旧友は四散、出国も許されない身の上じゃった。

その後、跡目を弟・渋川光清の子・光定に継がせ、その世話を受けながら俗事から離れ余生を送り、55歳で没しちょります。

桂井素庵が書き記した日記『萬(よろず)日記』の一部が現存し、寛文3年(1663)の一部は『土佐郷土志料』に、寛文4年(1664)9月から5年12月までが『南路志』に収録されちょり、当時の土佐を知る貴重な資料になっちょるそうです。

ちなみに、屋号を「根来屋」と名付けちゅうがは、先祖の出身地に由来しちょります。

先祖は天正13年(1585)頃、紀州根来から土佐に来て長宗我部氏に仕えるがですが、長宗我部氏が滅亡すると浪人になり、長浜村(現・高知市)に住む。

父・光直は酒造業を営み、その後、高知城下に移り「根来屋」と称したが、父・光直が早世した後は母が家業を切り盛りしたと言う。

【参考・引用】 
『高知県人名事典 新版』 高知新聞社 刊
『土佐の墓』 山本泰三・著


此処からちょっと余談じゃけんど、先祖の出身地の紀州根来言うたら伊賀・甲賀と並び称される「根来忍者」の里。

天正12年(1584)織田信長の亡き後、羽紫秀吉が天下統一にのりだし、尾張で徳川家康・織田信雄の連合軍との小牧・長久手の戦いをするがじゃけんど、秀吉の制圧を予期した根来勢は徳川・織田方と通じ、岸和田城を攻めるがです。

戦いは羽柴秀吉軍の留守部隊に敗れるがですが、秀吉は一度は予定通り大坂を出立したものの、また大坂に戻るなど出鼻を挫かれ、出陣を遅らされるがです。

しかし翌天正13年(1585)徳川家康と和議を結んだ秀吉は、「根来一寺を滅ぼせば、紀州の諸豪族は刃を交えず降伏する」と、根来勢の壊滅にのり出すが。

結局、羽柴秀吉軍10万の圧倒的な大軍に、根来の積善寺・千石堀・沢・畠中は次々に出城を攻め落とされ根来一山は灰燼と化したがです。

もしかしたら、桂井素庵の先祖もこの根来衆の一人で、紀州根来を逃げ延び土佐に来て、長宗我部氏に忍者として仕えたがじゃないろうかと思ったり・・・。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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3 Comments

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タメやん さんへ  

Re: 邸跡

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コメントありがとうです。
三宅建設の先ですね・・・。
行政を当てにするのは、無理・無理。
「龍馬」や「よさこい」以外の、郷土史にゃ無関心ですきねー。
大事な郷土資料が、日々消え去る土佐です。

2013/07/26 (Fri) 21:10 | タメやん さんへさん">REPLY |   

タメやん  

邸跡

東秦泉寺(H正蓮寺・シマサキ東)にあるらしい。
西には、夫婦岩。
HP・看板等、一切なし。(やる気もない様だ。)

2013/07/26 (Fri) 17:45 | REPLY |   
ねえやん へ">

ねえやん へ  

Re: タイトルなし

ねえやん へ">

標識から上るのですが、途中に案内板はないので迷うかも知れませんが、兎に角頂上の北側奥にあります。

2013/01/25 (Fri) 00:24 | ねえやん へさん">REPLY |   

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