谷垣守 - 坂本家初代・坂本直海の父・八郎兵衛直益も神道を学ぶ

谷垣守墓

[ 高知県 高知市中秦泉寺 ]


谷垣守は、元禄11年(1698)谷丹三郎重遠(号・秦山)の長男として生まれ、通称は丹四郎、号は塊斎、幼い時から家学を受けその業を継いだ儒者・国学者ながです。

父・秦山の没後、京都で玉木葦斎に神道を、江戸で賀茂真淵に国学を学び、谷門の学として転換させていく。

学才が土佐藩庁にも認められ、家格も留守居組を経て御扈従格禄米20石となる。

垣守はまた藩政参加の熱意を有し、上書して意見を述べる。

この発想は中国風仁政思想に基づくものであるが、以後土佐藩では宝暦期を中心に上書を受容する伝統を生むに至った。

高知北会所(藩校教授館の前身)の講師をつとめ、宝暦2年(1752)55歳で亡くなっちょります。

【参考・引用】 『高知県人名事典 新版』 高知新聞社 刊 



因みに坂本龍馬の坂本家の初代・坂本直海の父・八郎兵衛直益は、谷垣守に師事して神道を学び、当時の土佐の文化人とも交遊しちょります。

・・・此六代の八郎兵衛諱直益といひ順水と号し少しは学問の嗜もあり、当時の名流谷垣守、谷真潮、安並雅景(国学者で歌人)、中山高陽(文人画家・書家・漢詩人)、岩井玉洲(儒学者・書家)等と往来し、詩酒徴逐し風流富貴二つながら其清福を極めたり。・・・

・・・此六代八郎兵衛直益に男子二人あり、長は兼助といひ次は八次といふ。
兼助(坂本八平直海)家業を好まず。
依つて財産を分ちて郷士職を購あがなひ、別に新宅の一家を立てしむ、是ぞ即ち坂本龍馬の家筋にして龍馬は実に其三代の裔すゑなり。

【参考・引用】 『南国遺事』寺石正路・著 「坂本龍馬先祖美談」より


詩酒徴逐とは「招いたり招かれたりして、詩や酒を楽しむ日々を送る」と言う意味。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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