行宗桃源宗行 - 茶人で先祖は大忍庄西川城主、のち長宗我部家臣

上行宗桃源墓

[ 高知県高知市秦泉寺 ]


先祖・行宗与助、大忍庄(おおさとのしょう)西川城主、香宗城落城後浪人、その子・西川春庭が御坊主支配に召抱えられ、春庭二男・重福は別家坊主に召出される。
宗行は父・渕魚(号・新柳斎、茶人)と同じく桃源を称し六代目、小高坂に住し孤高の人としてしられた。
不白に入門し茶道を修め、師匠となり、対清菴と号した。

【参考・引用】 『土佐の墓』 山本泰三・著


この行宗桃源宗行の一族の先祖が書き残したと思われる文書が、現在、高知市の有形文化財『行宗文書』として保存されちょります。

文化財情報 有形文化財 行宗文書 - 高知市公式ホームページ

行宗桃源宗行(ゆきむね とうげん むねゆき)は、文政6年(1823)に土佐郡小高村(現・高知市)父・五代目桃源の子として生まれる。
80石取りの代々茶の湯に関わってきた藩士の家で、行宗春次(4代目)、桃源(5代目)(渕魚・新柳斎)と続く。
桃源は父から石州流の茶の湯を受け継ぎ、さらに江戸在勤の折に千家の弧峰庵・川上不白に入門し、その系統の茶道を深めた。
幕末から明治初期にかけて、高知市の庶民の間に、江戸千家流をひろめた人である。
明治15年(1882)に60歳で没。

【参考・引用】 『高知県人名事典 新版』 高知新聞社 刊 


ちなみに「千家の弧峰庵・川上不白」とは、四代目・川上不白(蓮華庵鶴叟、1792年-1869年)の事じゃと思われます・・・。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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