伊藤藤陰 - 砲術家で母は中山高陽の姪

伊藤藤陰墓

[ 高知県 高知市 薊野 ]


伊藤藤陰は宝暦6年(1756)に、辰巳屋三代目・伊藤義強の二男に生まれ、名を尚員また廣路、通称・鉄之助、弥助と言う。

母・常は、中山高陽の姪。

はじめ百二十石の商人郷士として、射(弓道)・騎・刀・槍を修行。

暦学・兵法・火技に通じ、文化11年(1814)砲術師家白札となっちょります。

天保11年(1840)84歳でみてちょります。

【参考・引用】 『土佐の墓』 山本泰三・著


伊藤藤陰墓

墓碑にゃ撰文を日根野鏡水 造、当時の要法寺住職じゃった神力山沙門日凝 書と彫られちょります。

ちなみに日根野鏡水は、天明6年(1786)に土佐藩士の家に生まれた漢詩人・教育者で、教授館塾頭を務めちょります。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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