千頭傳四郎墓 - 武市瑞山も師事した小野派一刀流の師

千頭傳四郎墓

[ 高知県 高知市 高見 ]


千頭傳四郎(でんしろう)は、高知城下の足軽・伝右衛門の二男として生まれ、文化5年(1808)に召抱えられ、文政9年(1826)組外に昇格し苗字御免になる。
この間、数回江戸に出て、中西忠太について一刀流の修行を積み皆伝になり、道場を設け門人に教えた。
土佐に於ける一刀流の祖。
嗣子(家を継ぐべき子)なく家督は断絶した。
寛永3年(1850) 62歳で没。
武市瑞山も天保12年(1841)から歿(没)するまで師事した。

【参考・引用】 『土佐の墓』 山本泰三・著

 
千頭傳四郎は、武市瑞山(半平太)が最初に剣術を学んだ剣の師匠で、天保12年(1841)13歳の時から、嘉永3年(1850)22歳までの約9年間ながです。

千頭傳四郎亡き後、嘉永5年(1852)24歳の時から嘉永7年(1854)26歳までは、麻田勘七に学び皆伝伝授しちょります。

この麻田勘七と言う人は、土佐藩士・馬廻格の麻田利太夫の二男として高知城下に生まれ、江戸で鏡心明智流の桃井春蔵に剣術を学び、また千頭傳四郎に小野派一刀流を学び、高知城下鷹匠町に小野派一刀流の道場を開き、致道館の剣術指南役にも付き多くの門弟に指導しちょります。

麻田勘七は、千頭傳四郎の弟子でもあるが。

その門弟にゃ、武市瑞山(半平太)の他に、郷士だと岡田以蔵・島村衛吉・久松喜代馬、上士にゃ佐々木高行や・馬場来八(馬場辰猪の父)がおるがです。

そんで安政2年(1855)27歳の時に、叔父になる槍術師範 島村寿之助と道場を開くがです。

その後は、江戸の鏡新明智流・桃井春蔵に入門する事になるが。

武市瑞山(半平太)が桃井春蔵の門弟になったのも、麻田勘七の紹介によるものかも・・・。


・「傳」は「伝」の旧字です。

・中西忠太は、小野派一刀流中西派3代目宗家で、竹刀と防具を考案した人でもある。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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