片岡健吉墓 - 坂本直寛らと一緒にキリスト教の洗礼を受ける

片岡健吉墓

[ 高知県 高知市 前里 ]


片岡健吉の事は、以前にも御紹介しちょりますき、プロフィール的な記載は省きます。

写真は無いけんど、墓石に「義人は信仰により生くなり」と刻まれちょりました。

キリスト教じゃったがですねー。

幕末期、片岡健吉も板垣退助と勤王論を唱いた人じゃけんど、坂本龍馬とは接点はないがですが、龍馬の兄・権平さんの養子になり坂本家5代目を継いだ坂本直寛とは関係があるがよ。

自由民権運動の中心的な拠点となった「立志社」の中心的なメンバーの中に板垣退助と片岡健吉が居った。

坂本直寛も、立志社が土佐に開設した立志学舎で西洋の学問を学び自由民権運動に参加していくがです。

本来、板垣退助や片岡健吉と坂本直寛の関係は「上士と郷士」の関係になるけんど、坂本直寛が自由民権活動を始めた頃にゃ、板垣家と坂本龍馬の父方の祖父になる山本信固(覚右衛門)と子孫との姻戚関係が出来たため、親戚関係の間柄でもあり親しかったようで、そうした事もあり自由民権運動の遊説活動も行っちょりますねー。

そんで片岡健吉がキリスト教徒になるがは、明治18年(1885)に高知基督教会が設立された時じゃそうで、一緒に洗礼を受けたメンバーの中に坂本直寛や武市安哉、板垣鉾太郎(板垣退助の子)らが居ったがです。

何でも、片岡がキリスト教信仰を求めたのは板垣の影響だとも言われちょりますが、当の板垣退助は自ら進んで教会へは足を運ぶ事はなかったとか・・・。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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