播磨屋宗徳記念碑 - はりまや橋の原型を架けた一人

播磨屋宗徳記念碑

[ 高知県 高知市 瀬戸東町 ]


よさこい節にも歌われ、ガッカリ名所じゃ何じゃと言われる「はりまや橋」は、山内氏の藩政初期(1600年頃)に堀川を挟んであった「播磨屋宗徳」と、「櫃屋道清」が双方の家を行き来するために架けた私設の橋が原型ながです。

播磨屋宗徳元は播磨国飾磨の人で本姓は高島、通称、与十郎・九郎左衛門と言う。

天正6年(1578)に長宗我部元親が讃岐出兵した際、軍用金と兵糧を用立てたことが縁で、土佐に招かれ浦戸城に移住し商人となり、長宗我部氏が滅び山内氏の藩政になっても特権商人として栄えたと言う。

播磨屋宗徳記念碑

この碑の建つ場所は、谷時中の土地じゃった瀬戸新田を十六貫で播磨屋宗徳が買った場所のようです。

谷時中の墓 - 「土佐南学」中興の祖 2009.10.11

因みにちょっと調べたら、銭貨の通貨単位としては1000文が1貫文となるが、江戸時代には省陌法と称して960文をもって1貫文とすることが一般的であった。
秤量銀貨の通貨単位としては質量の測定値である貫および匁がそのまま用いられ、こちらは銀1000匁が銀1貫となる。

1貫 = 100両 = 1000匁 = 3.75kg

【参考・引用】 貫 - Wikipedia


上方では銀を秤量貨幣として使っちょったき、重さ=価値なが。

つまり、十六貫ちゅう事は、銀で60kg = 1600両相当と言う事になるがですかねー。

兎に角、そんなに大金をポンと出せる程の財力があったと言う事。

因みに、櫃屋は比島辺りに広大な土地を所有しちょったそうです。

【参考・引用】 『追跡!純信お馬 -駆け落ち百五十年-』 岩崎義郎 著 / 高知新聞社刊



播磨屋宗徳記念碑の後ろにゃ、二代目以降の墓石だけが並んじょり、奥さんの墓石はあったけんど播磨屋宗徳の墓石は見つからんかった。

播磨屋宗徳の妻の墓石
播磨屋宗徳の妻の墓石

二代目以降の墓石
二代目以降の墓石

戦後の事じゃと思うけんど、この周辺にも宅地開発が押し寄せ、公園の一角に墓石だけが移されたがじゃないろーかと思うたり・・・。

高知は「坂本龍馬」と、いくらガッカリ名所でも「はりまや橋」でもっちゅうにも拘らず、橋を作った当事者の一人・播磨屋宗徳は蚊帳の外・・・。

それに、幕末の偉人達に対する畏敬、失われつつある史跡に対する歴史観の無さ・・・。

如何にも土佐の観光行政の在りようですき。


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