土佐藩浜川砲台跡 - 坂本龍馬も砲台警備に付く

土佐藩浜川砲台跡

[ 東京都品川区東大井 ]


嘉永6年(1853)、ペリー提督が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が日本に来航し、江戸湾(現・東京湾)の奥深くまで進入して来るが。

幕府にゃ事前通告があり市中にもお触れは出ちょったようじゃけんど、艦隊が数十発の空砲を撃つと、最初は大混乱になるがですが。

空砲だとわかると町民は砲撃音が響くたびに花火の感覚で喜んじょったそうじゃけんど、その後、実弾砲撃の噂とともに、次第に不安が広がるが。

この頃流行った狂歌が「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」と言う歌じゃった。

「喜撰」とは緑茶の銘柄で、上物という意味で、四杯も飲むとカフェインの作用で夜も眠れん」と言う意味と、「わずか四杯(船の数え方)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒がしゅうなって夜も眠れん」という意味をかけちゅうがです。

【参考・引用】 黒船来航 - Wikipedia


当初、測量目的で湾内奥深くまで入って来たけんど、船の停泊出来る場所がなくて幕府は浦賀に誘導しちょります。

この土佐藩浜川砲台跡は、ペリー来航後の異国船の再来に備えて土佐藩が土佐藩鮫洲抱屋敷の地続きに大砲8門を備える砲台を築いたがじゃそうです。

丁度、坂本龍馬の最初の江戸での剣術修行中の事で、警備のため龍馬も参加しちょった事は、有名な話ながですねー。

写真の説明板の下にある石は、2004年に運河近くで発見されたもので、昔の海岸線は砂地じゃったき、この石は砲台の石垣に使用された石ではないかと推測されると言う事で置かれちょります。

土佐藩浜川砲台跡

堤防の外は運河。

昔は、この先にゃ海が広がっちょったがですねー。

時代と共に埋め立てられ、当時の面影は垣間見れませんが、ペリー艦隊はこの沖1.6Kmまで接近しちょったそうです。
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