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清岡公張 - 野根山殉難二十三士の首領・清岡道之助の弟

清岡公張墓

[ 東京都文京区大塚・護国寺 ]


清岡公張(きよおか ともはる)は天保12年(1841)安芸郡田野浦の郷士の子で、通称・半四郎と言う。

文久年間に上洛し、諸藩の勤王の志士と交わり、藩命により三条実美の衛士となっちょります。

文久3年(1863)に起こった八月十八日の政変の際にゃ七卿に同行して長州に逃れ、翌年、元治元年(1864)禁門の変でも長州藩と共に戦うたがですが、敗北し再び長州へ逃れちょります。

維新後は新政府に出仕し、地方官を皮切りに、元老院議官や宮内省図書頭、枢密顧問官、貴族院子爵議員などを歴任しちょります。

明治34年(1901) 60歳で没。

野根山殉難二十三士の首領・清岡道之助は実の兄になるがです。

【参考・引用】清岡公張 - Wikipedia

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