武藤致和邸跡 - 豪商「美濃屋」七代目で『南路志』を編纂

武藤致和邸跡

[ 高知県高知市南はりまや町1丁目 ]


武藤致和(よしかず)は、寛保元年(1741)に美濃屋六代目・宗右衛門光成の子として生まれた人です。

「美濃屋」は、旧藩政時代にゃ高知城下で「播磨屋」等と肩を並べる豪商じゃったそうで、七代目として家督を継いで幅広く商いをし店は繁盛したがじゃそうです。

60歳を過ぎた頃から、病気のため家業を離れ退屈な日々を送っちょったと・・・。

このまま豪商・美濃屋七代目で終わってれば広く名前が残る事はなかったけんど、最初、家の子供のために中国の聖賢の教えを集めて『家童訓』を書いたけんど、日本人でありながら異国の教えを教える事は、四恩を忘れた行為じゃと後悔し土佐史を研究し始めるがです。

土佐の地理や歴史を研究する事、30年。

文化12年(1815)、武藤到和・平道親子が中心となって編纂され出来上がった書物は、120巻に及ぶ『南路志』と言う大叢書じゃったがです。

ただ、武藤到和・平道親子は生涯を賭けて取り組んだため、その後、家産をかたむけたとか・・・。

『南路志』の原本は山内家所蔵と県立図書館所蔵になっちょたそうですが、 戦火により焼失してしまったけんど、小関豊吉氏の写本が残っちょって、それが今日に至っちょります。

この本がなかったら、土佐史の研究も遅れを取っちょたろうねー。

おかげで、土佐史を調べる上で多いに参考になっちょります。

【参考・引用】 『高知県人名事典』 高知新聞社




MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment