安藤鎌次 - 三条制札事件で深手を負い自刃

安藤鎌次墓
安藤鎌次墓

[ 高知県高知市筆山 ]


天保13年(1842)3月、鎌次は土佐郡久万村の土佐藩足軽の家に生まれちょります。

文久元年(1861)武市半平太(瑞山)が土佐勤王党を結党すると加盟はしちょりますが、血盟同志名簿には名は記載はされちょりません。

慶応2年(1866)、藩命により京都土佐藩邸詰めになると、諸国の志士らと交流を持つようになるがです。

そんな折、幕府は、元治元年(1864)の八月十八日の政変で失脚し朝敵となった長州藩の罪状を記した制札を、三条大橋札場に立てるがです。

三条制札事件と呼ばれる事件が起きたがは、慶応2年9月12日の夜の事・・・。

宮川助五郎を中心とした土佐藩士8名が、その幕府の制札を抜き取りに行ったがです。

一端は制札を抜き取ったがですが、市中警戒中じゃった新撰組に取り巻かれ乱闘になり、宮川助五郎は重傷を負い捕らえられ、藤崎吉五郎は斬殺、鎌次は深手を負い中山謙太郎と松島和助に介抱されながら土佐藩邸に逃げ込むが、傷が深手だったようで9月13日に自刃しちょります。

享年25歳。

墓碑にゃ11月2日没と刻まれちょりました。

【参考・引用】
『高知県人名事典』 高知新聞社 
『土佐の墓』 山本泰三・著




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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