高知城 - 高知の名の由来

黄昏の高知城

[ 高知県高知市丸の内・高知城 ]


『高知』の名は、この高知城に由来するがです。

その高知城は、元は南北朝時代に南朝方の大高坂松王丸が大高坂山に居城を設けちょった「大高坂城」じゃった場所じゃと言われちょります。

「南北朝」所縁の地 - 大高坂松王丸の記念碑 2009.08.20

その後、長宗我部元親が岡豊城から移って築城しようとしたけんど、元々、大高坂山は南に鏡川、北にゃ江の口川が流れる浦戸湾に面した湿地帯じゃった場所で、度重なる洪水に見舞われたために断念し、現在の坂本龍馬記念館のある浦戸に拠点を移したがです。

元親公墓 - 長宗我部元親 2008.11.24
浦戸城跡 - 桂浜 2008.09.02

そんな地の利の悪い大高坂山に、再度、築城しようとしたのが、関ヶ原の戦いで勝った徳川方の武将・山内一豊じゃったがです。

山内一豊墓 2011.02.02 

慶長6年(1601)山内一豊は、浦戸城を放棄して築城総奉行に百々越前守安行を任命し、大高坂山に築城するように命じるがです。

百々越前 - 高知城の築城奉行 2009.04.16

慶長8年(1603)に本丸と二の丸が完成し、真如寺の在川和尚が、鏡川と江の口川に囲まれた場所じゃと言う事から城の名を「河中山城」と改めるがです。

真如寺 - 山内家菩提寺 2010.02.09

けんど、城下町造りも度重なる洪水に悩まされ困難じゃっとそうで、 土佐藩第2代藩主・山内忠義が「河中」の字を嫌い、慶長15年(1610)、今度は五台山竹林寺の僧・空鏡が「高智山城」と改名するがです。

この高智山は、五台山竹林寺の文殊菩薩の高い知恵にあやかって付けられちょります。
五台山竹林寺 - 四国霊場第三十一番札所 2008.05.01

その後、「高智」から「高知」となり、城の名も「高知城」となり、城下町も「高知」となったと言う事ながです。

境目 - 身分の境目 2010.02.25

因みに、昔は八つの櫓(やぐら)を要する城郭じゃったそうで、その中の一つは現存はしちょりませんが、浦戸城の天守閣を移築した三重の櫓じゃったそうです。

唯一、浦戸城の名残は浦戸城城門が、要法寺の門として現存しちょります。

要法寺 - 山内一豊が長浜城主となった時、菩提寺に 2010.10.08

【参考・引用】 『日本歴史地名大系 高知県の地名』 平凡社




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