吉田惣右衛門孝世 - 長宗我部氏軍記『土佐物語』著者

吉田惣右衛門孝世墓

[ 高知県高知市筆山 ]


宝永5年(1708)に、長宗我部元親の業績を中心に描いた軍記『土佐物語』30巻を著した人ながです。

『土佐物語』とは、文明10年(1478)一条兼良の子・一条教房が土佐に下る頃から、元和元年(1615)に長宗我部氏が滅亡するまでのおよそ138年間の長宗我部氏の興亡を描いた軍記物語なが。

吉田惣右衛門孝世は正保2年(1645)に吉田字右衛門正次の二男として生まれ、長宗我部元親の重臣の一人で「大備後」として知られちゅう香美郡夜須城主・吉田備後守重俊の六代後裔になる人です。

因みに、吉田備後守重俊の兄・吉田備後守孝頼(周孝)も、長岡郡江村郷吉田城主で長宗我部元親の重臣の一人ながです。

吉田城跡 - 城主・吉田周孝は吉田東洋の祖 2010.12.16

また、子孫にゃ幕末の土佐藩参政・吉田東洋がおる。

寛文4年(1665)土佐藩第3代藩主・山内忠豊に仕え、記録方を務め、藩命による記録編纂の起草をし、元禄4年(1691)格式馬廻になっちょります。

『土佐物語』を書き上げた5年後の正徳3年(1713)、69歳で亡くなっちょります。

『土佐物語』の偉業を記した碑

現在、墓所にゃ『土佐物語』の偉業を記した碑が建てられちょります。

【参考・引用】 『高知県人名事典』 高知新聞社




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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