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源希義の鞍掛けの岩 - 源義朝の五男で、この地で討たれる

源希義の鞍掛けの岩
源希義の鞍掛けの岩
源希義の鞍掛けの岩

[ 高知県南国市東崎 ]


源希義は、源義朝の五男で、鎌倉幕府を開いた源頼朝は同母・兄になるがです。

現在放送中(2012)の、NHK大河「平清盛」の中にも登場する父・源義朝が「平治の乱」で敗れ都を落ち延びる道中、尾張国で家人に裏切られ謀殺されると、兄・頼朝は伊豆へ、希義は土佐に流され、平家方の平田氏・蓮池氏の監視の下、介良荘(現・高知市介良)に住み土佐冠者と号して成人しちょります。

因みに、源義経は異母・兄になる。

治承4年(1189)8月の兄・頼朝の挙兵を受けて土佐で旗挙げに呼応したがですが、平重盛の家人・蓮池家綱・平田俊遠に敗れ、途中馬を乗りつぶしてこの地まで逃れたけんど、平家の追捕の手にかかり、この説明文の建っちゅう東側にある現・鳶ヶ池中学校正門前辺りで討ち死にしたがじゃそうです。

鳶ヶ池中学校内にゃ「源希義公敗死の地」と言うのが建っちゅうそうじゃけんど、残念ながら立入る事が出来ず確認はしちょりません。

この「源希義の鞍掛けの岩」は、源希義の愛馬の鞍を置いたとの伝承が残っちゅう場所じゃそうですが、現在は、水路内のどの岩なのかも特定は出来んがです。

源希義の没年に付いては諸説ある。

『吾妻鏡』寿永元年(1182)8月(寿永元年9月25日条)
『延慶本平家物語』治承4年(1180)12月1日
『尊卑分脈』『平治物語』月日は特定できないものの治承4年(1180)に殺害されているとの記載がある。
治承4年8月17日(1180年9月8日)に追討を受けて自害したとの説もある。

源希義 - Wikipedia




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