龍右衛門桜(仮称) - 勤王党・矢野川龍右衛門の子供達が植えた山桜

龍右衛門(仮称)

[ 高知県高知市 ]


昨日(2021.4.6)、歴史写真家・前田秀徳氏">歴史写真家・前田秀徳氏から、「満開の山桜がある。今年の見納めに見に行くか?」とお誘いの連絡をいただき、早々に、御案内いただき見て来たが。

麓から見上げると1本の桜に見えるけんど、実は2本の山桜で、それぞれが幹の直径約1m、樹高約20m、樹齢は、およそ百年以上は経つちょると思われる、ざまーな(大きな)山桜の大木じゃったがです。

傍で見たら、その迫力に圧倒されたがでした。

龍右衛門桜(仮称)

龍右衛門桜(仮称)

手前の墓石と比べたら、その大きさがお判りいただけるんじゃないろーかねー

その後、酒を酌み交わしながら「そうよ、名前を」と言う事で、二人で考えたのが「龍右衛門桜(仮称)」と、勝手に名付けた次第ながです。

けんど、「龍右衛門桜(仮称)」と名付けたのには、墓石の主とも関係があり、ちゃんと訳がある。

その墓石の主は、土佐勤王党に89番目の血盟同志となった「矢野川龍右衛門」さん。

今回は、歴史写真家・前田秀徳氏よりお聞きした「桜」の話と、簡単に矢野川龍右衛門さんの事を、氏の承諾の上で書かせてもらいます。

矢野川龍右衛門さんと言う人は、土佐勤王党に加盟後の文久2年(1862)6月に土佐藩主・山内豊範の参勤交代に随行し上京し、その年の10月にゃ勅使・三条実美の衛士として江戸へも随行しちょります。

三条実美に可愛がられたそうで、文久3年正月にゃ三条実美より「紋付麻上下」や「和歌」を賜ったそうながです。

戊辰戦争の頃にゃ病気にかかっちょって、他の土佐勤王党の仲間たちと一緒に参戦する事が叶わんかったそうながです。

そんな矢野川龍右衛門の思いを叶えたのが、長男・正雄と二男・長正の二人の息子じゃったと。

二人の子供たちは、父・龍右衛門さんの「無念」を知り、自分たちが父の代わりに土佐藩兵として戊辰戦争に従軍し、見事に父に代わって役割を果たしたと言う・・・・・。

けんど龍右衛門さんの容体は回復する事もなく、亡くなっちょります。

墓石にゃ慶応4年(1868)8月26日51歳とある。

また父母の墓石にゃ、墓石を建てた子供達6名全員の名が刻まれちょりました。


現在、矢野川龍右衛門の墓所は無縁になっちょり、誰も訪れる事はない。

けんど、寂しくないように態々(わざわざ)墓前に植えられたであろう桜は、およそ百年以上も経って大木となっても枯れる事もなく(多少、傷みは出ていますが)、毎年見事な花を咲かせちょるそうです。

山桜は、子供達の遺志を受け継ぎ、「供養」と言う花を咲かせているかの様です。

龍右衛門桜(仮称)

麓にゃ、矢野川龍右衛門邸跡の痕跡も残っちょり、その庭じゃった場所にも立派な山桜が咲いちょりました。

右が邸跡に咲く山桜と、左上が「龍右衛門桜」と仮称しちょります山桜ながです。

今回は「守り続けたい」と言う思いを感じさせられた、桜のお話でした・・・。


尚、現在この場所は、矢野川龍右衛門さんとは無縁の個人所有の場所でして、一般に立入る事は出来ません。

今回は、このお宅の方々と歴史写真家・前田秀徳氏">歴史写真家・前田秀徳氏とが交流があり、立ち入らせていただき撮影出来た次第です。

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