維新の門 - 坂本龍馬脱藩の道

080425-01.jpg
[  ”維新の門”群像 中央・掛橋和泉 ]

080425-02.jpg

080425-04.jpg


080425-03.jpg

080425-05.jpg

[ 維新の門  高知/高岡郡檮原町 ]

「維新の門」の群像は、坂本龍馬をはじめ「維新に活躍した梼原周辺地域ゆかり」の八人の土佐藩志士を顕彰したものながですが、その群像には「動」的な気迫が感じられる銅像じゃ。


維新の門「碑文」より

幕末の風雲急を告げる文久2年(1862)春、坂本龍馬は、勤王郷梼原から那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見て脱藩した。この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱の渦中に身を投じた。
また、これらの志士を身を賭して支える掛橋和泉があった。それから年を経ること6年、明治維新は成り、近代国家が誕生するが、そのとき既に八人の志士は壮絶な死を遂げていた。
いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれる。
ここに志士の足跡が残る地を選び、八志士の群像を建て「維新の門」と名づけ、その功績と英姿を永遠に伝える。近代日本の黎明は、この梼原の地より輝いた。
その郷土を誇りとする青年たちの情熱と維新の里の発展を希求する町内外の多くの有志の熱い想いが、この群像を建立した。 
龍馬は、澤村惣之丞とともに、文久2年(1862)3月24日、高知を出奔し25日に梼原に到着、その夜、梼原の勤王の志士那須俊平・信吾父子の道案内により予土県境・韮が峠を越えて伊予の国(愛媛)に脱藩した。
信吾は韮ヶ峠より引き返したが俊平は同行し27日、宿間村(五十崎町)に着いた。
俊平はここから引き返し、龍馬、惣之丞は船便にて長浜町へ28日船で三田尻(山口県)へ到着した。(異説有)
吉村虎太郎をはじめ、ここから脱藩した12名の志士の中で生きて維新の夜明けを迎えた者は1人としていない。


[ 坂本龍馬 ]
文久2年春、同士澤村惣之丞と脱藩、勝海舟らに啓発される。
薩長同盟の締結、大政奉還など維新の指導者として活躍したが、慶応3年11月15日、盟友中岡慎太郎とともに京都近江屋で凶刃に倒れた。

[ 澤村惣之丞 ]
文久2年春、坂本龍馬とともに脱藩後、勝海舟の神戸海軍塾に学び、亀山社中に加わって坂本龍馬の片腕となって活躍した。
慶応4年1月幕府軍の敗退を知って退散した、長崎奉行所を占拠して市中の治安維持に当たっているとき、薩摩藩士を誤殺してしまう。
「この大事の時に薩摩と土佐の間に溝を生じてはならない」と従容として自決した。

[ 那須俊平 (檮原六志士) ]
梼原村に生まれ、同村郷士那須忠篤の養子となった。
特に槍術に長じ「土佐一の槍の達人」と称された。
文久2年4月、養子の信吾は藩佐幕派の吉田東洋を斬って脱藩した。
俊平も元治元年脱藩し、長州の忠勇隊に入った同年、58歳の身で禁門の変に参加し、奮戦の末戦死した。

[ 掛橋和泉 (檮原六志士) ]
梼原村那須常吉、妻歌の二男として生まれ、同村神職掛橋家へ養子として入った。
すぐ隣の庄屋吉村虎太郎と親交を重ね、勤王の志を固めた。
文久2年春、同士が相次いで脱藩するのを、家が裕福であった和泉は、家財を費やして彼らを援助した。
これが養母の知るところとなり、この詰責を受け、同士に類の及ぶ事を恐れ、自決した。

[ 吉村虎太郎 (檮原六志士) ]
安政6年梼原村番人大庄屋として赴任した。
武市瑞山らと勤王党を結成し、文久2年脱藩して京に上る。
一時捕らえられ牢舎に呻吟する身となったが、出所後再び京に上り、翌3年天誅組を組織し、大和に兵を挙げた。
しかし8.18の政変で孤立無援となり、奈良県鷲家谷にて幕軍に阻まれ天誅組は壊滅、虎太郎も壮烈な戦死を遂げた。

[ 中平龍之介 (檮原六志士) ]
梼原村地下浪人中平佐平、妻登根の長男として生まれる。
那須俊平に剣を学び、同士と気脈を通じ勤王の志を篤くする。
文久3年脱藩後、長州忠勇隊に入り禁門の変に参戦し、激闘の末重傷を負い自決した。

[ 那須信吾 (檮原六志士) ]
佐川村で生まれ、梼原村郷士那須俊平の養子となりその娘為代と結婚。
文久二年四月土佐藩佐幕派の吉田東洋を斬り、その足で脱藩し京都に潜伏した。
翌3年、吉村虎太郎らと天誅組を挙兵するも幕軍に阻まれ壊滅し、奈良県鷲家口で戦死した。

[ 前田繁馬 (檮原六志士) ]
松原村庄屋前田広作の長男として生まれる。
那須俊平に剣を学び、吉村虎太郎、那須信吾らと交わって勤王の志を固めた。
文久3年吉村虎太郎の挙兵を知り脱藩し、天誅組に入って大和に進撃したが、政変によって隊は壊滅し、奈良県初瀬で戦死した。


[ アクセス ]
・JR須崎駅から、高知高陵交通バス”梼原”行きで、約1時間 バス停梼原下車 徒歩約5分

関連記事

  



0 Comments

Leave a comment