佐井寅次郎 - 土佐勤王党に153番目に加盟

佐井寅次郎墓

[ 高知県高知市三ノ丸 ]


佐井寅次郎は天保13年(1842)に、幡多郡中村(現・四万十市)の岡村家に生まれ、名を正敏と言い、後に佐井和之助の養子となっちょっります。

学問は安岡良亮に学び、剣術は樋口真吉に学び、砲術は山崎慎太郎に学んじゅうがです。

郡奉行下役として郡治に尽力し、その功により徒士目付として高知城下に移っちょります。

土佐勤王党にゃ153番目に加盟しちょります。

また、慶応3年(1867)にゃ、山内容堂の側役となるがです。

その後、佐々木高行、中山佐衛士と共に四国・九州方面を巡って諸藩の動きを探り、勤王の同志と倒幕の密謀を計る。

維新後の明治2年(1869)にゃ、山内容堂の推薦で三条実美の側役を務めるけんど、翌明治3年(1870)に病気を煩い辞職し、土佐へ帰国するものの、回復せず明治4年(1871)に病死しちょります。

享年30歳。

この墓石も何度も探し回り見つけたがでして、薄暗い木立の下、墓石の土台は勿論、竿石の下の方まで枯葉に埋まっちょりました。

此処も、無縁墓ながでしょうか・・・・・。

【参考・引用】
『高知県人名事典』 高知新聞社
『土佐の墓』 山本泰三・著 土佐史談会




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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