安岡道太郎 - 安岡三兄弟の三男

安岡道太郎墓

[ 高知県高知市山ノ端町・小高坂山 ]


安岡道太郎は弘化4年(1847)土佐藩郷士・安岡文助の三男に生まれ、はじめ道之助と称した。

幕末の安岡三兄弟として知られちょり、因みに長男・安岡覚之助は土佐勤王党に171番目に加盟し、土佐勤王党の弾圧で投獄され終身禁固の処分を受けたけんど、慶応3年(1867)佐々木高行らの努力によって島村寿之助と共に釈放されちょります。

戊辰戦争にゃ東征軍小軍監として参戦しちょりますが、慶応4年(1868)会津若松城下の戦闘で流弾にあたり戦死しちょります。

享年34歳、贈正5位。

二男の安岡嘉助は、土佐勤王党血盟同志の中にゃ名前は残っちゃせんけんど土佐勤王党員で、文久2年(1862)に那須信吾や大石団蔵と共に吉田東洋の暗殺の実行犯の一人で、暗殺後、そのまま長州に脱藩しちょります。

その後、文久3年(1863)天誅組に加わり鷲家口の戦いで敗れ、津藩の藩兵に捕縛され京都の六角獄に投獄され元治元年(1864)斬首されちょります。

享年29歳、贈従4位。

当の安岡道太郎は、幕末、大坂の海岸警護のたのため住吉の土佐陣屋に勤務し、維新後は、立志社に入り自由民権運動に参加し、民権歌「よしや節」の作者として知られちょります。

その後、東京に出て新聞記者となっちょりますが、土佐に戻り、明治19年(1886)39歳で没しちょります。

【参考・引用】/ 『土佐の墓』 山本泰三・著 土佐史談会




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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