七ツ渕 - 平家の落人伝説の残る場所

七ツ渕への降り口

[ 高知県高知市七ツ渕 ]


七ツ渕への降り口にある境内社じゃけんど、このどれかの御宮さんが「七ツ渕」に由来する下女神社じゃそうです。

七ツ渕への降り口

七ツ渕への降り口

実は、この七ツ渕の写真を撮るだけに昨年末(2011年)3回チャレンジしちょります。

と言うのも、1回目は下山の時間を考えると余裕がなく、七ツ渕へは降りずに下山した。

2回目は、行った数日前に雨が降っちょりまして、降り口の鉄製の階段が苔で滑りやすかったのは勿論じゃけんど、落ち葉や岩肌が濡れちょって足元が危なっかしいのと、5番目の藤ヶ瀑から6番目の渡ヶ瀑に行くには名前の通り沢を渡らんと行けんがですが、増水しちょって渡れんかったき、結局、途中で引き返した。

やっと3回目のチャレンジで、7番目の下女ヶ瀑まで行って、撮って来た写真ながです。

七ツ渕案内板

この七ツ渕の滝は、落差が5~10m程の小さな七つの滝から成っちょります。

七ツ渕・菅生瀑

菅生瀑(すごうばく)

七ツ渕・武者ヶ瀑

武者ヶ瀑(むしゃがばく)

七ツ渕・孕瀑

孕瀑(はらみばく)

七ツ渕・甲瀑

甲瀑(かぶとばく)

七ツ渕・藤ヶ瀑

藤ヶ瀑(ふじがばく)

七ツ渕・渡ヶ瀑

渡ヶ瀑(わたりがばく)

七ツ渕・下女ヶ瀑説明板

七ツ渕・下女ヶ瀑

この下女ヶ瀑が最大の落差を誇る滝ながで、最初の写真にある境内社・下女神社と関わりのある滝ながです。

下女神社の祭神が誰なのかは不明じゃけんど、下記のような記述がある。

『土佐州郡誌』

「相伝、古平家族党過比地、其妻自投水死故名」

代々受け継がれている話によると、昔、平家の落ち武者たちが落延びて行く途中、一族の女人がこの滝に身を投げ水死した事に由来する名。(と言う意味じゃろー)

『秦村誌』

土地の伝説では、屋島の戦に敗れた平家一族の女七人がこの地に落延びたが、ある日、白鷺の群れ(一説には谷間の霜)を源氏の襲撃と見誤り、淵に身を投げて死んだ。

その女たちを祀ったのが、この社で、下女神社の名もそれにちなむと言う。


【参考・引用】 『高知県の地名』日本歴史地名大系 40 平凡社

 
どういて白鷺の群れを源氏の追手と勘違いをしたかと言うと、上古以来、朝廷の旗は赤色ながです。

明治維新の戊辰戦争の時、朝廷側(新政府)が旗印に掲げて戦った「錦の御旗」も赤地に菊の御紋じゃろー。

源平合戦の頃の平家は「平家にあらずんば人にあらず」と言われたくらい、朝廷や世の中をも支配しちょった影の権力集団(黒幕のようなもの)じゃった。

こうした経緯から、朝廷をも凌ぐ時の権力者・平氏は、旗印も朝廷の「赤旗」を用いたがです。

それに対しての打倒平家の源氏は「白旗」で戦った。

源氏と平氏の二つの対立じゃき、平家は「赤旗」、源氏は「白旗」で十分じゃったがでしょうねー。

追っ手を気にしながら逃げよった平氏の誰かが、舞い降りたのか飛び去ったのかは判らんけんど、白い鷺の色を源氏の白旗と誤認して、後は「すわ!源氏じゃ。追ってじゃ。逃げろっ!。」てな具合で、集団がパニックになったがじゃないろーか。

そいて、逃げ足の遅い下女たちが「これまでっ!。」とばかりに、自ら滝壺に身を投じたと言う事じゃろー。

当方の勝手な脚色を交えての話じゃけんど、此処は、そんな「平家の落人伝説」の残る場所ながです。


七ツ渕への降り口から下女ヶ瀑まで、普通に歩いて往復一時間は要する。

歩道は、樹木が鬱蒼と生い被さり、日中でも太陽の光が届きにくいし、歩道と言っても道幅が50cmもないような狭い所や、段差が激しかったり、急勾配の上り下りもある。

その経路は安全上の防護柵や手摺も、何も無いような状態ながです。

運悪く足を滑らしたりでもしたら、崖下や滝壺に転落もありえる場所もある。

それに、万が一事故で動けなくなったとしても、携帯も繋がり難いし、普段神社は無人で、最も近い民家までは車で5分以上はかかる。

運良く、七ツ渕に降りて来る人に遭遇出来ればエエけんど、ようするに何かあっても自力で動けんと助けてもらえる可能性は低いが。

まずは、山歩きスタイルで、足元は登山靴か運動靴じゃないと無謀ですき。

そんな場所ですき、一人での七ツ渕散策はおススメはいたしません。

七ツ渕から鏡川の支流・への降り口

最後に、下女ヶ瀑から流れ出た水は、緩やかに鏡川の支流・重倉川へと流れ込んで行くがです。

やがて纏まった川の流れは、土佐藩5代藩主・山内豊房が、その清き清流を讃え『我が影を映すこと鏡の如し』として「鏡川」と名付けた流れとなる。

坂本龍馬も日根野道場に通いよった頃、「雨に降られるのも川で泳ぐのもどうせ濡れるから一緒だ」と言って、雨の中で水練したという言う逸話が残り「龍馬も泳いだ鏡川」としても有名じゃねー。

今も、その流れは高知市内を緩やかに流れ、河川敷は市民の憩いの場所となり、水そのものも高知市民の命の水としての役割を終えると、栄養分を含んだ水は浦戸湾に流れ込み豊かな生態系を育んだ後、浦戸から桂浜の坂本龍馬に見送られて太平洋に旅立って行くがです。

「まっこと、御苦労じゃったのー。おまんらーの使命は終わったき、この広~い太平洋でのんびりしいや」と言いゆうか否かは知らんけんど・・・(^^ゞ

すべての恵みの源は、高知市の北山に降った「一滴の雨粒」から始まる・・・・・。

七ツ渕神社 - 坂本乙女と武市瑞山妻・富も参拝に訪れちゅう 2012.02.08
北山・七ツ渕街道を行く 1 - 椎野道を上り望六峠へ 2011.12.18
北山・七ツ渕街道を行く 2 - 嘉助道を上り望六峠へ 2011.12.19
北山・七ツ渕街道を行く 3 - 望六峠・峠の茶屋 2011.12.20
北山・七ツ渕街道を行く 4 - 望六峠から七ツ渕神社・第一鳥居まで 2011.12.21
北山・七ツ渕街道を行く 5 - 七ツ渕神社・第一鳥居から第二鳥居まで 2012.01.20
北山・七ツ渕街道を行く 6 - 七ツ渕神社・第二鳥居から神社入口まで 2012.02.02


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