祖父江信正 - 墓碑の撰文は細川潤次郎(十洲)の父

祖父江信正墓

墓碑・細川清斎撰

[ 高知県高知市小高坂・三の丸 ]


祖父江信正は宝暦4年(1754)に生まれ、寛政8年(1796)に開業した医者ながです。

巧言・衒なく(口先だけでうまく言ったり、気取ったり、もったい振ったりせず)人を能く容れ(人を丁寧に受入れ)、寛厚(心が広く、態度は温厚)で真心をもって医療にあたり、夜中でも門を叩く者があればこれに応じ、重病人を救う事も度々であったので次第に名を知られた。

身を慎み恤貧に尽くしたので文化12年(1815)御目見を許された。

兄・勘忠の死後、遺志・勘孝らを篤く遇し父の如く慕われた。

この事が藩庁に達し、文政8年(1825)一生涯上下二人扶持を給わる。

文政10年(1827)に、73歳で没

【参考・引用】『土佐の墓』 山本泰三・著 土佐史談会



今回も祖父江信正さんにゃ失礼ながら、墓碑の撰文を書いた細川元春さんの事をチックと・・・・・。

細川元春は名が元春、通称・延平、号を清斎と言い、寛政5年(1793)に処士(民間にあって、仕官しない人)・細川亭斎(元利)の二男に生まれた漢学者ながです。

経史に通じ、詩をよくし、父と同様、家塾を開いて多くの子弟を教え、その功により文政12年(1829)、御徒士格に召しだされる。

この細川元春(清斎)の二男が、細川潤次郎(十洲)になるがです。

父・細川元春(清斎)は、幕末の尊皇攘夷の時代に、古いしきたりや物の見方に拘(こだわ)ることなく、潤次郎(十洲)を長崎で蘭学を学ばせちょります。

明治3年(1870)に78歳でみてちょります。

【参考・引用】『高知県人名事典』 高知新聞社




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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1 Comments

佐藤信義  

細川潤次郎の祖父が分かり感謝してます

家内の曾祖父が細川潤次郎ということで、家系を調べていました。潤次郎の祖父にあたる方の名前を初めて知ることができ感謝いたします。尚、家内の祖父は潤次郎の三男・源三郎です。因みに、潤次郎の長男は大山巌の二女と結婚しています。また、高祖父は、井伊直弼(直弼の娘の真千代と青山幸宜に嫁ぎ、その娘である孝子が細川源三郎と結婚しています)ということや、坂本龍馬や谷干城からの書簡があることで、幕末・明治の歴史が面白く身近に感じられるようになっています。今後も調査を続行していきたいと思います。

2012/02/06 (Mon) 23:12 | REPLY |   

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