お龍 - 贈正四位阪本龍馬妻龍子として眠る

京浜大津
信楽寺
お龍墓

[ 神奈川県横須賀大津町 ]


品川から京浜急行の特急に乗り、横須賀へ行って来たがです。

目的は、坂本龍馬の妻じゃった「お龍」さんの墓参りに・・・・・。

堀の内で浦賀方面の各停に乗り換え京急大津で降り、住宅街を抜けると「お龍」さんの眠る信楽寺があった。

石段を登り寺内に入ると丁度、庭掃除をされておられる方がおり、場所をお尋ねすると丁寧に御案内いただきました。

「お龍」さんの墓は一際大きい墓碑で「贈正四位阪本龍馬妻龍子之墓」とあり、周りにゃ沢山の花が備えられちょりました。

龍馬亡き後の、お龍さんの生涯をとやかく言う人も居るけんど、最愛の人を失い生きて行くために辿り着いた彼女なりの生き方を、後世の余人が批判することは遺憾。

「お龍」さんと一緒に過ごした僅か数年間の「龍馬」も、また、「龍馬」の傍で妻として暮らした「お龍」さんも、それぞれ、人生の一時が"ささやかながらも幸せだった"はずじゃきねー。

この横須賀の地で西村松兵衛と言う人と再婚し波乱の人生を送った後、明治39年(1906)66歳で永眠しちょります。

ふと思うたがは、「66」と言う数字。

龍馬が京都・近江屋で亡くなったのが「33」歳の時じゃき、「お龍」さんの一生は龍馬の生涯を2人分(33×2)生きた訳ですねー。

この数字も、不思議な気がしたがです・・・・・。

この墓碑は「お龍」さん没8年後の大正3年(1914)、田中光顕や香川敬三の援助を受け、妹の中沢光枝が施主、西村松兵衛らが賛助人となり建てられちょります。

何故、墓碑が「西村松兵衛妻」じゃなく「贈正四位阪本龍馬妻龍子之墓」じゃろーと思うて、咄言を・・・・・。

「お龍」さんは西村松兵衛との入籍後、母・貞を引き取り、妹・光枝の子・松之助を養子としちょりますが、明治24年(1891)に母・貞と養子・松之助を相次いで亡くしちょります。

その後、夫に先立たれた「お龍」さんの妹(次女)・光枝が「お龍」さんを頼り3人で暮らすようになり、やがて松兵衛と光枝が内縁関係になり二人で「お龍」の元を離れて別居しちゅうがです。

お龍は退役軍人・工藤外太郎に保護されて余命を送った。

【参考・引用】『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』鈴木かほる・著


「お龍」さんと西村松兵衛が正式に離婚をしたのか否かは判らんけんど、西村松兵衛も彼女に対する侘びの思いもあったろう。

「お龍」さんの魂を、「坂本龍馬の妻」として龍馬のもとに送り届けたがじゃないろーかねー。

それも、また粋な計らいじゃと思うがですが・・・・。

また、坂本龍馬の眠る京都霊山護国神社にも分骨されちょりますき、今は龍馬の傍で安らかに過ごしゆうがやろーねー。


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