百々軒橋 - 幕末期にもあった交通の要所

百々軒橋

[ 高知県高知市五台山 ]


五台山の南、下田川に架かる百々軒橋は、「百々」と書いて"どど"じゃのうて「もも」と読む。

じゃー「ももけん橋」かと言うと、これも違うて「もものきばし」が正確な橋の名称ながです。

この橋は、幕末期にゃあったそうで、五台山と南の仁井田や種崎方面を結ぶ重要な橋じゃったそうですき、名前のように民家が百軒あったか否かは判らんけんど、沢山の民家や茶店などもあったであろう場所じゃったがです。

と言うのも、慶応3年(1867)9月24日、坂本龍馬の最後の帰国となった、長崎からライフル1,000挺を積んで浦戸湾に戻んて来た時、渡辺弥久馬や本山只一郎らと、銃売却の密談をおこなった場所の一つの料亭・半船楼も、この百々軒橋の対岸になるがです。

それに橋の対岸の五台山小学校の背後にゃ、第31番札所・五台山竹林寺から降りて来る参道があり、お遍路さんも、この百々軒橋を手前に渡り、次の第32番札所・禅師峰寺へと巡礼を続けたがです。

また、橋の南岸側にゃ土佐勤王党の武市半平太(瑞山)・島村衛吉らをはじめ、堺事件関係者の西村左平次・大石甚吉・稲田貫之丞らの邸宅もあったき、この橋を渡って城下とを行き来しよったがでしょう。

坂本龍馬も、この橋を渡って吹井の武市半平太(瑞山)の家に遊びにも行ったかも知れん・・・・・。

現在は、昔の賑わいを伺い知る事は出来んけんど、対岸に「坂本」の地名と、この橋「百々軒橋」の名のみが残っちょります。


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