真邊戒作 - 戊辰戦争に参戦

真邊戒作墓
真邊戒作墓

[ 高知県高知市山手町・丹中山 ]


真邊戒作は弘化4年(1847)土佐藩小姓組・真辺勝亥正粋の子として生まれ、名を正精、厳太郎と言う。

文久元年(1861)父の病死に伴い、僅か14歳で真辺家8代の家督を継いじょります。

慶応元年(1865)に板垣退助に付き江戸に出、慶応2年(1867)「学問修業」の藩命を受けるが、戊辰戦争が勃発し参戦しちょります。

戊辰戦争にゃ、第4胡蝶隊司令、迅衝隊六番隊長としてて参戦しちょります。

維新後は、明治2年(1869)東京藩邸の学校舎長、翌年、藩から選ばれて高知藩英国留学生団長を勤め、馬場辰猪、国澤新九郎らと供に英国留学をしちょります。

明治11年(1878)ロンドン滞在中に、馬場辰猪と論争し問題を起こした。

このため帰国しけんど、うつ病になり友人・吉田正春宅を訪ね自殺したと言う。

享年32歳。

【参考・引用】『土佐の墓』 山本泰三・著 土佐史談会




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