南 月溪 - 歴史を説き皇室を尊ぶことを強調し幕末の志士を育てる

南 月溪墓所
南 月溪墓所南 月溪墓所
南 月溪墓所南 月溪墓所

[ 高知県高知市井口町・永福寺山 ]


南 月溪は文政5年(1822)安芸郡野根村(現・東洋町野根)の弘田平右衛門の第5男に生まれた人で、僧侶で教育者ながです。

幼時父の言に従って中村浄土寺に入り僧となる。

成長して藩の儒学者・谷氏に経史を学び、禅を大休和尚(田野常行寺住職志静)、また日根野鏡水にも学んじょります。

内外の典籍に詳しく、詩文をよくし、武芸も嗜んだ。

嘉永年中、田野・浄土寺の住職となり、請われて塾を開き、村の少年たちに文武を教え、歴史を説き皇室を尊ぶべきことを強調して幕末の志士を育てた。

子弟を教えるに極めて厳しく、常に経書を講義すると同時に武道を教え、文に偏る事を戒めたと言う。

慶応年間、城下・小高坂の浄福寺に入り、その後、潮江の称名寺に移ったが、明治維新の廃仏毀釈で廃寺となり、還俗して士族に戻っちょります。

その後は、小学校訓導を経て赤岡中学校の助教となるが、これを辞して城下・南奉公人町、築屋敷で塾を開き、更に各地に招かれ子弟を教えちょります。

明治15年(1882)61歳で亡くなっちょりますが、性淡白で倹素じゃったそうで、古書と刀二口しかなかったと言う。

墓碑は細川潤次郎(十州)の撰文が刻まれちょります。

参考・引用 : 「高知県人名事典」 高知新聞社


以前、歴史写真家・前田秀徳氏に御案内いただき、お話を聞いちょります。


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃(暖かい時期は、その限りじゃないぜよ)、山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)に、充分に御注意の事!
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